なんで 写真を撮るかの話
初対面の人に聞かれることが多い。
「なんで写真を撮り始めたの?」とか
「いつから撮ってるの?」とか。
きっかけはすべて母である。
私の母は写真を撮るのが好きだ。
上手いわけじゃない。
本当に記録としての写真を撮る。もはや狂気すら感じられる記録写真の一例を見てほしい。
お土産とかはまだわかる。
もうよくわからない袋とかそういうものすら写真を撮って、パソコンの中に年代別に記録しているのである。怖い。
それほど撮る人であり、
昔からカメラが 写真が身近だったので
「いつから」というよりも
「さいしょから」写真が近いものだった。
どんな時でも、どこかに出かけようが出かけまいが撮られてきた。
昔は本当に嫌だったが、
写真を仕事にしてきてやっと これがとても幸せなものなのだと気付いたのだった。
そういう母がいたから
家には常に数台デジカメがあり
そのお古を貰っていた。
高校卒業して、オーストラリアへ2年間いたが
この時期はSONYのサイバーショットを持ち歩いていた。
なにかをうまいこと撮ろうとかいうわけではなく、いつも常に持ち歩いて、忘れたくないから撮っていたという感じ。日本にいた時も同様。
だから特に、特別なことでもなくて
自分の日常なのである。
だから「なんで」と聞かれると「うーん」
となってしまうのだ。
そこでいよいよ2015年
やっと一眼レフを買おうと決めた(お年玉で)
何がいいかわからなかったけど
とりあえずなんでもよかったのでCanon70Dと、それについてた18-135mmとかいうよくわからないレンズで撮っていた。
本当はホテルで働きたくて
英語とホスピタリティをやっていた気がするが
そこから一度少しアパレルの販売をやって
(売りつけるのが楽しかった)
なぜか、カメラマンへ方向転換をした。
ダメ元でいいやと、受けてみた会社に受かって今に至る。
仕事はもちろんこなすが、プライベートでの写真は自由で。
だから上手だとか下手だとか
画角がどうだとか色だとかどうでもよくて、
ただ私がみてた目線を残してるだけでいたい。
これからも私の目線をみんなに見て欲しいなぁと思う吉沢でした。
最後は、姉の結婚式で泣いた父親を
ファインダーが涙で見えない状態で撮った写真でおさらばします。
写真っていいね。
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