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うちの冷蔵庫にはしょうゆが3本ある

わたしたちが住むその家は、
JR中央線のA駅から15分ほど歩いた場所にある。

2022年4月に入居してからというもの、
おどろくほど穏やかな毎日をおくっている。

そんな暮らしぶりとは裏腹に、
周囲の人たちはややザワついているらしい。

たとえば会社の同僚や友人に会うと、
「それで、シェアハウスはどう?」と質問ぜめ、
「毎日が修学旅行みたいで、疲れない?」とも言われる。

なるほど。
すっかり「日常」になった暮らしだが、
そんなに面白そうなら、
ほんとのこと、書いちゃってみるか。

なぜわたしたちが女3人で暮らし始めたのか
どうやって暮らしているのかについて、
少し振り返ってみることにしたい。





一緒に住んでいるY子とE子とは、
いまから7年前、大学1年生のときに出会った。

波長が合うし、
お互いそれなりに気を遣えて、
ストレスのない友人たちだった。

卒業後も、
年に数回ごはんにいってはくだらない話をした。
けれどそれ以上でも以下でもなかったし、
まさか一緒に住むなんて、という距離感だった。

コトが動いたのは2022年1月。
当時、わたしが一人暮らししていた家に
Y子とE子が遊びにきてくれたのだ。

いまの家がそろそろ契約更新するので、
次の場所を探しているわたしとY子。
そろそろ実家を出たいE子。

それから3人で、
2022年はどんな生活がしたいか話した。
すると、びっくりするほど3人の思いは一致していた。

「自立したいけど、一人暮らしはなんだかしんどい。」
「誰かと暮らしたいけど、近すぎるのはいやだ。」

あれれ。
なんか、いい感じじゃない。
もしかしてわたしたち、一緒に住んでみちゃう?

んなわけ!と笑っていた声は、
じょじょに真顔になった。

誰かといるのに、ちゃんと一人でもある。
それって、どんな暮らしなのだろう?

どうなるかわからないけど、
まあ、やってみるか。




「女の子が3人って、朝の洗面台やばそう。」
「ごはんは誰が作ってるの?」
「洗濯は別々なの?」

「一緒に暮らす」の定義は、さまざまだ。

シェアハウスとなれば、
完全に衣食住を共にする人たちもいるだろうが、
わたしたちの家では、基本すべてを各自で行う。

ごはんを作るのも、食べるのも、基本は一人。
調味料もバラバラに買うので、
わが家の冷蔵庫にはしょうゆが3本だ。
毎日、まるで違うものを食べて生きてる。

こう話すと、
たいてい「思ったよりドライだね」と言われる。
けれど、わたしはこのスタイルこそ、
わが家の居心地のよさを生み出しているのだな、と思う。

それぞれでごはんを作り、
もし気が回るならゴミを捨て、
お風呂に順番で入り、
リビングで会ったら大笑いして、眠りにつく。
そして、明日の仕事が始まる。

誰かが先にやってくれたことには、
ありがとうを忘れない。
気がつかない配慮には、配慮で返す。

そう、他人と暮らすってまずは
自分がしっかりしてなきゃいけない。
その先に転がるときは支えるし、支えてもらう。

自分がどうしたら喜ぶのかを知っていて、
その先に、他者としあわせになれる。

人間、究極、
最後は一人で立たないといけないわけで。
でも、そこを乗り越えたらけっこう楽しい。

Y子とE子との日々は、
そんなことを感じさせてくれる。



JR中央線のA駅から15分。
にぎやかな商店街を通る。その先にあるわが家。
2024年4月がわたしたちの解散日だ。

だからこそ、
残りの日々をしっかりと刻もうと思う。
この「家族」と暮らせる、
面白くて、ちょっとした奇跡の毎日を。


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