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左近の桜、右近の橘【2:0:0】【男性の友情/先輩後輩/バッドエンド】

『左近の桜、右近の橘』
作・monet

所要時間:約45分

●あらすじ●
誰よりも優しいヒーローは、たしかに歌舞伎町(そこ)に居た。
ホストクラブで働く男性2人の絆ストーリー。

桜雅/♂/おうが。源氏名。新人ホスト。
橘月/♂/たつき。源氏名。中堅ホスト。よく笑う。

●ここから本編●

桜雅:(M)俺は、何者なんだろう。

 (間)

桜雅:(M)ふと、そんな考えが頭に浮かんだのは、コンビニでの夜勤中、品出しをしているときだった。

橘月:すみませーん!あの、店員さん?レジ、いいですか?

桜雅:……あっ!申し訳ありません!すぐ行きます!

橘月:いえいえ~!急いでないので、ゆっくりで大丈夫ですよ。

桜雅:(M)綺麗な顔の男性だなと思った。どこか浮世離れしているような……この人、何の仕事をしているんだろう。モデルとかかな?

橘月:夜勤、大変ですよね。

桜雅:えっ?

橘月:自分も、夜働いてるので分かります。それでは。

桜雅:(M)その男性は軽く微笑むと、そのまま店をあとにした。

 (間)

桜雅:……あ、ありがとうございましたーーっっ!!

 (間)

桜雅:(M)夜働いてる……?あ、夜職の人ってことか。なるほど。すごい顔綺麗だったし、ホスト、とかなのかな……?

 (間)

桜雅:(M)俺はとにかく単純だった。夜勤が終わり、家へ帰ると、早速ホストの求人を調べていた。

 (間)

桜雅:未経験者歓迎……?ここのホストクラブなら、大丈夫かな。

 (間)

桜雅:(M)どうして俺がホストの求人を調べているのか。それは、俺が「何者かになりたい」と思ってしまったからだ。

桜雅:(M)そして偶然、働いているコンビニを訪れたホストを見て、ホストになりたいと思った。

桜雅:(M)そんなことがきっかけか、と思われるかもしれない。だけど今の俺には、充分すぎるきっかけだった。

 (間)

桜雅:(M)「何者でもない」今の俺には、そのきっかけだけで充分だったんだ。

 ●場面転換●

 (歌舞伎町)

桜雅:(M)初めて来た歌舞伎町は、まだ日が落ちる前なのにも関わらず、どこか異質な雰囲気で、不思議な高揚感があった。

 ●ホストクラブ店内●

 (開店前)

橘月:おっ。面接の人、だよね?……あれ?どっかで会ったことある?

桜雅:(M)驚いた。先日夜勤中に見たホストがその店に居たのだから。

 (間)

桜雅:い、いや……勘違いかと。

橘月:そんなことは無いと思うんだけどな~!
俺、人の顔と名前を覚えるのは得意なんだよ。まあ、職業病かな?

桜雅:す、すごいですね……。えっと、俺は、その、コンビニの……

橘月:あ!!そうそう!コンビニの夜勤の店員さんだ!またこんなところで会えるなんてな!

桜雅:え……あ、は、はい。そうです……。

橘月:もしかして、あそこのコンビニから家近い?

桜雅:……は、はい!すぐ近くです!

橘月:お!じゃあ俺らめちゃくちゃ家近いじゃーん!
俺もあそこのコンビニの近くに住んでる!

桜雅:そ、そうだったんですね……。

橘月:……で、そのコンビニの店員さんが、ホスト始めるわけ?なんで?

桜雅:あ、あの……えっと。

 (間)

桜雅:(M)あなたがきっかけです、なんてとても言えなかった。

橘月:はっはっは!!ごめんなあ!!こういうことは、聞くもんじゃねえよなあ!!
俺だって聞かれても上手く答えられねーと思うし。
とりあえず、このシートにいろいろ記入してもらって、店長来るまで待ってて。
……あ、なんか飲み物飲む?ウーロン茶とかでいいか?

桜雅:は、はい!ウーロン茶で、大丈夫です……。

 (間)

桜雅:(M)俺は、目の前に出されたシートを見た。記入欄は、名前、住所、源氏名(げんじな)……源氏名……そうだ、これだ。俺のなりたい名前。

橘月:……ほい、ウーロン茶。お、もうシート書けたみたいだな。どれどれ~?……おっ。酒は強いんだな~!頼もしい!んで、源氏名は……
ぷっ。(ふきだす)……桜に、雅(みやび)で「桜雅(おうが)」かあ。なかなか随分と派手な名前にしたなあ!はっはっは。

桜雅:…………。

橘月:……あー、ゴメンゴメン!まず俺が名乗れって話だよな!
あーえっと……はい、これ俺の名刺。……俺、橘(たちばな)に月で「橘月(たつき)」っていいます。
ここの店ではそこそこ長いこと働いてるホスト。

桜雅:?……でもここのお店、最近オープンしたばっかりなんじゃ……

橘月:「リニューアル」オープンな。店自体はけっこう前から歌舞伎町にあってさ、古くてボロッボロだったんだけど、この度めでたくリニューアルオープン。
内装も綺麗になったし、オシャレでいい感じだろ?俺けっこう気に入ってるんだよな~。
なんせ前の店舗は本当にひどくて一一

桜雅:(M)そのとき、一人の男性が店へ入ってきた。

 (間)

桜雅:は、初めまして……!!もしかして店長さ一一

橘月:おはようございます!!氷雨(ひさめ)さん、珍しいっすね、こんな時間に!

桜雅:(M)橘月さんの様子がガラッと変わった。「氷雨さん」と呼ばれた彼は、アニメか漫画のような綺麗な銀髪に、ブルーがかったカラーコンタクトをしていた。その瞳は限りなく鋭く、冷たく。そして中性的な体型と服装。何よりも発せられるオーラ。俺はこの人が只者ではないことを察する。

桜雅:(M)それにしても、ホストって皆顔が綺麗というか……イケメンが多いんだな……。

桜雅:(M)どうやら「氷雨さん」というホストは忘れ物を取りに店に寄っただけらしく、用事があるとのことですぐ店から出て行ってしまった。
用事って何の事だろう……。

 (間)

桜雅:あ、あの、橘月さん……。あの人は店長さんじゃないんですか……?

橘月:あの人は店長さんじゃないよ。

桜雅:え、じゃあ……

橘月:あの人はウチの店のナンバーワンホスト、氷雨さん。

桜雅:な、なんばー……わん……!?

橘月:氷の男とも呼ばれるこわ~~い人だぞ~~??

桜雅:氷の、男……。

橘月:俺も新人時代はよくいびられたし、こき使われたな~~。
血も涙も無く、女の子に貢がせるだけ貢がせてソープ送り、なんて噂も多々ある。

桜雅:(ドン引き)

橘月:って、ゴメンゴメン!!怖がらせすぎちゃったな。はっはっは。
まあ、今のはただの噂話で、真実じゃない。本当はすごく優しくて不器用な人だよ。

桜雅:……そうなんですか?

橘月:ああ。俺はあの人がナンバーワンになる前からずっと知ってる。

桜雅:(M)そう言った橘月さんの顔はどこか寂しげで。俺が知る由(よし)もないようなことが、きっと過去にあったのだと、それだけで察した。

 (間)

桜雅:(M)俺はその後、店長さんに面接をしてもらい、無事、体験入店が決まった。

 (間)

橘月:よし!桜雅!俺が教えてやる!ついてこい!

桜雅:……あ、は、はい!橘月さん!

橘月:はっはっは。最初は源氏名で呼ばれるの慣れないよなあ。まあでも、じきに慣れる!
名前負けしないように、頑張れよ!桜雅!

桜雅:は、はい!頑張ります!

橘月:お前は……なんというか、かわいい系ってやつだな。いじりがいがあるし。

桜雅:えっ、いじりがいって、どういうことですか!?

橘月:そういうのを武器にすれば美味しいんじゃねーのって話!誉め言葉だよ!

桜雅:いや、でも俺そういうの慣れていないといいますか……

橘月:無理やりでも慣らしていくんだよ!それが仕事だ!

桜雅:は、はい……

橘月:いいか?お客さんは皆お姫様だ。お姫様を全力で喜ばせる、それが俺たちの仕事。

桜雅:……そう、なんですね。

橘月:はっはっは。意外そうな顔してるな。でもこれは、どんな接客業にも言えることだ。そうだろ?

桜雅:お店に来たお客さんを喜ばせる、って意味では……確かに。

橘月:はっはっは。まだ不満そうな顔してるな。
お前の今の頭の中はこうだ、「ホストっていったら女の子から金を巻き上げる悪いイメージがある」違うか?

桜雅:あ、……えっと。

橘月:まあ、そんなイメージを持ってるお前がなんでホストになりに来たのかも気になるが、それはひとまず置いておく。
指名やバックの話だろ?あれはな、俺たちが「頑張った分だけ貰えるボーナス」だ!そう思えばいい。
まあ、うちのキャストでも接客スタイルは十人十色だ。「ボーナス」を得ることだけに夢中になって、基本を忘れちまうことも多い。

桜雅:基本って、「お姫様を喜ばせること」ですか?

橘月:おっ!!そこまで分かってるならもう何も言うことはねーな!!

桜雅:あ、ありがとうございます!!

橘月:店長や他の先輩たちは、指名取れだのボトル入れさせろだの、あれやこれや言うかもしれんが、……基本を忘れずにな。
頑張っていれば、結果はついてくる。
少なくとも、俺はそういう気持ちでやってきてナンバーツーになった。

桜雅:え!?な、ナンバーツー!?……だったんですか、橘月さん……。

橘月:ああ、そんなに畏まらなくていいって。こうやって新人の面倒見てるのも、俺の趣味だしな。
それに俺のお姫様たちは、こんな俺の性格を理解してくれている。

桜雅:す、すごいん、ですね……。

橘月:さっき来た氷雨さん覚えてるか?用事があるって言ってただろ?ありゃ同伴ってやつだ。

桜雅:同伴……。

橘月:出勤前に、お客さんとご飯に行ったりデートをすることだ。逆に出勤後にそれをすることは「アフター」という。

桜雅:……同伴と、アフター。

橘月:はっはっは。そろそろ頭パンクしそうって顔してんな。まあじきにいろいろ教えるし、覚えていくさ。

桜雅:すみません、俺、頭悪くて……中卒だし……

橘月:なんだ!!桜雅も中卒なのか!?俺もだぞ!というかこの店のキャストにも中卒は多い。

桜雅:そ、そうなんですか!?俺、今まで中卒って言うと驚かれたり蔑まれたりすることが多くて。

橘月:まあその気持ちはよーく分かる。だがな、ここでは学歴なんて関係ないぞ。

橘月:うちの店の話じゃあないが、中卒でもホストで有名になって、起業して社長になった人までいる!

桜雅:す、すごい……。

橘月:だから、一発逆転も、もちろん可能だ!ま、道のりはなかなかに厳しいがな。

桜雅:そう、ですよね……。

橘月:だが諦めるな桜雅!!夢を持て夢を!!……あ、そうだお前、夢はないのか?

桜雅:夢……ですか?

橘月:おーおー、夢は大事だぞ!?お姫様たちから応援してもらえる材料にもなる。
だから開店までにしっかりと考えておけ。

桜雅:は、はい!!わかりました!!

橘月:今日のお前の仕事は、店の掃除、グラス類の片付けと洗い物。それからこの店のシステムの暗記、このくらいだな。

桜雅:は、はい!頑張ります!

橘月:それが落ち着いたら、桜雅、お前、俺のヘルプにつけ。

桜雅:え!?い、いいんですか!?接客するってことですよね……?

橘月:ああ。これも何かの縁だからな。特別だぞ?一発芸くらい考えておけー??

桜雅:一発芸……。緊張します……。

橘月:まあまあ、肩の力を抜け。大丈夫だ。俺のお姫様たちは皆優しい。「最初は」な!

桜雅:さ、最初は!?

橘月:はっはっは!固くなり過ぎなくていいけど、適度に緊張しろよってことだ!

桜雅:は、はあ……。

橘月:それじゃ、さっそくトイレ掃除から始めるぞ!!

桜雅:はい!よろしくお願いします!!

 (間)

桜雅:(M)それから俺は、トイレ掃除、店内清掃、グラスの片づけ方から、接客マナー、お店のルール、おしぼりの渡し方から煙草の火の付け方、処理の仕方まで一通り橘月さんに叩き込まれた。

桜雅:(M)そうしているうちに、次々と他の先輩キャストさんたちが到着し、一人一人に挨拶をしていると、あっという間に開店時間になった。

 (間)

桜雅:(M)開店してからの時間は本当に目まぐるしく過ぎ去った。ただの雑用でさえこんなに大変なのだから、接客している先輩キャストさんたちはもっと大変に違いない。

 (間)

桜雅:ふぅ……やっと一段落――

橘月:桜雅~~!!桜雅!!やっと落ち着いたか?こっちの卓来いよ。

桜雅:(M)……そうだ。一段落ついたら、橘月さんの卓にヘルプでつく予定だったことをすっかり忘れていた。

桜雅:(M)こんなにへとへとで、接客できるわけない……どうしよう。

橘月:こいつは今日から入った桜雅!まあ体入(たいにゅう)だけど、きっと俺は入ってくれると信じてる!

桜雅:は、はい……え、えと……

橘月:そしてこの子が俺のお姫様のエミちゃん。優しいしいい子だから緊張すんなよ!

桜雅:(M)「エミさん」と紹介された女性は茶髪のロングヘアで、とてもスタイルの良い女性だった。話を聞くと、どうやらモデルをやっているらしい。

橘月:な!?エミちゃん!桜雅かわいーだろ!?いじりがいがあるっていうかさ、こいつはたぶん根が優しいんだよ。どっからどう見てもいい奴だもん。

桜雅:(M)上手く話せない俺を、橘月さんが完璧にフォローしてくれる。これが、ナンバーツーの実力なのか……。

橘月:おい!おーい!聞いてんのかー?桜雅。

桜雅:は、はい!!えっと、……す、すみません。

橘月:まあ初仕事で慣れなくて疲れてるんだろうな。今日だけは多めに見といてやるぞ。
それで、エミちゃんがお前に聞きたいことがあるんだってよ?

 (間)

桜雅:(M)夢を、聞かれた。橘月さんの言っていた通りだった。俺の夢。一時間くらいで考えた夢だけど、俺の夢は一一

 (間)

桜雅:お、俺の夢は、「ヒーロー」になることです!!

 (沈黙)

橘月:ぷっ。はっはっはっは!!(ふきだしてから大笑い)桜雅、お前なんじゃそりゃ、いくらなんでもふざけ過ぎだぞ?!

桜雅:あ、え、えっと、俺……でもっ!

橘月:はっはっはっはは……ん?エミちゃん?桜雅に飲ませたいって?
まあそりゃあそうだよなあ!これだけスベったんだもんなあ!まあ初日で体入だけど、酒強いって言ってたし、これくらいはいけるだろ!

桜雅:(M)俺はその後、テキーラのショットを一気飲みさせられた。



 ●営業終了後●

橘月:桜雅~~!!大丈夫かあ??さすがに初日から無理させすぎたか……。

桜雅:だ、大丈夫、です……、た、橘月さんが、助けてくれたので、なんとか。

橘月:よし!今日は俺が家まで送ってやる!

桜雅:(M)俺はその後、店長から日払いの給料を貰うと、橘月さんとともに店をあとにした。

桜雅:(M)深夜の歌舞伎町は、ここに来た夕方とはまったく別世界のような雰囲気で、それでも異質さだけは変わらない。

桜雅:(M)潰れて道端で寝ている女の子、おっパブの客引き。明らかに水商売のドレスの上にコートを羽織って移動する女性。どこへ行くのだろう……。

橘月:なあ、桜雅ってさ、歌舞伎町来たの初めてか?

桜雅:はい。俺は今日が初めてです。

橘月:どうだ?歌舞伎町は。どう感じた?

桜雅:……異質、だなと。でも不思議と嫌な感じはしませんでした。

橘月:はっはっは。異質、かあ。確かになあ。でも、嫌な感じしなかったってんなら、案外やっていけるかもしれないぞ?

桜雅:そうなんですか?

橘月:おうおう。土地が合うか合わないかってのはけっこう重要だ。そんな俺は、この歌舞伎町が大好きだぜ!

桜雅:大好き、なんですか……?

橘月:おう。大好きだ。人の醜い感情や私怨が渦巻く街。

橘月:でもそこには確かに愛や友情も存在していて。人間世界の縮図が見える気がするんだ。

桜雅:……えっと……。

橘月:ゴメンゴメン!何言ってんだって話だよな。でも俺は、好きなんだよ。この街が。ホストという仕事が。

桜雅:……俺は。

橘月:お?

桜雅:俺は、橘月さんみたいになれるでしょうか!?俺、橘月さんみたいになりたいです!!
女の子から金を巻き上げるんじゃない、橘月さんみたいな優しいホストに!!

橘月:……桜雅。

桜雅:はっ、はい!

橘月:俺は、優しいホストなんかじゃないぞ?

桜雅:え、でも……。

橘月:俺が女の子から金を巻き上げていないように見えるか?

橘月:……ははっ。そんなんじゃ、ホストとして生き残れねーに決まってんだろ。

桜雅:えっと……すみません。

橘月:ホストの仕事はそんなに簡単じゃない。

桜雅:す、すみません!!

橘月:俺のために傷ついてる女の子はいっぱいいる。

桜雅:でも!橘月さんがそんなことするような人には見えなくて!

橘月:お前、さっき俺の卓で「ヒーローになりたい」って言ってたよな?

桜雅:え、えっと……はい。

橘月:正義のヒーローってのは、誰かにとっての悪だ。

桜雅:…………。

橘月:俺らは仕事上、女の子に平等に接しなくちゃならない。だからその分裏では、俺を好きで居てくれてる女の子たちを傷つけ続けている。

桜雅:……ホストに来る女の子たちが、傷つかなくてよくなる方法ってないんですかね。

橘月:何言ってんだお前は。そんな方法あるわけないだろ。

桜雅:す、すみません……。

橘月:ナンバーワンの氷雨さん、いるだろ?氷雨さんさ、昔、ルーキー時代から支えてくれてた本命彼女をソープ送りにしてからずっとあんな感じで、心を閉ざしてるんだ。
相当責任を感じてるみたいでさ。
でも、ホストってそういうことなんだよ。

桜雅:そういうことって言ったって……!!氷雨さんは悪意があってやったわけじゃないんでしょう!?

橘月:悪意のある無しは関係ない。ホストという職業は、どうしたって女の子を傷つける。
だから心が優しいお前には、向かないかもしれない。

桜雅:……よく、分かりません。

橘月:氷雨さん、ああ見えても昔はもっと豪快に笑ってたっていうか、かなり明るい性格で評判だったんだけどな。

桜雅:……そう、だったんですね。

橘月:…………。
 (間)
はっはっは!悪い悪い!ちょっとしんみりしちまったな。初日から新人にこんなこと話して、俺、おかしいよな。

桜雅:橘月さんは、寂しかったんじゃないですか?

橘月:え?

桜雅:橘月さんはきっと、氷雨さんが心を閉ざしてあまり笑わなくなってしまったのが寂しかったんだと思います。
だからその、俺でよければ話聞くので……いつでも。

橘月:(ふきだす)ぷっ。あっはっはっは!!桜雅ー、お前は本当にお人よしだなあ。純粋で、綺麗な心を持ってる。
……今度こそ、俺が守り抜かなくちゃな。

桜雅:…………?

橘月:んんっ、あーいや、なんでもない!!ほら、コンビニ着いたぞ?コーヒーくらい奢ってやる。



 ●橘月の自宅●

橘月:(M)不思議な雰囲気のある男だと思った。それはコンビニで初めて声を掛けたときからずっと。

橘月:(M)桜雅と話していると、心が内側からあたたまって心地がいい。

橘月:(M)……ホストとしての接客はまるで向いていないようだったのに、本当に不思議な奴だ。

 (橘月のスマホが鳴る)

橘月:……あ、もしもし?ユカちゃん?今お仕事終わり?……うん……うん。ホントお疲れ様。……もう夜遅いんだから、気をつけて帰りなよ?
……え~?何どうしたの?甘えんぼさんなの?……分かったよ。よしよし、今日もよく頑張りました。好きだよ、ユカちゃん。……うん、うん、それじゃあ、おやすみ。

 (電話が切れる)

橘月:あとは今日店来てくれたエミちゃんと、マリちゃんとアイちゃんにラインして、それからルミちゃんにも電話しなきゃな、っと。

 (間)

橘月:(M)本来であれば、たくさんの指名客を持っている俺が新人指導だなんて、そんな雑用はやる必要はない。

橘月:(M)世話焼きでお節介な俺の、完全な趣味。そう思っていた。

 (間)

橘月:……でも俺は、もう誰にも傷ついて欲しくない。それだけだったのかな。

 (間)

橘月:(M)数年前の出来事は今でも鮮明に覚えている。憧れだったルーキーホストの氷雨さんと、本命彼女だったサキさん。

橘月:(M)俺は二人が一緒にいる姿が大好きだった。本当に二人とも幸せそうだった。……それで、それだけで良かったのに。

橘月:(M)ホストはそんなに悪い職業なんだろうか?俺はそうじゃないと思う。……そうじゃないと、信じたい。

 (橘月、電話をかける)

橘月:……あ、もしもし?ルミちゃん?……うん。俺だよ。ははは、ちゃーんと橘月だよ。……今日もお仕事お疲れ様。……身体は大丈夫?
……そっか。……うん、分かった。……体調崩さないようにだけ、気を付けてね。……それじゃ、ゆっくり休んで。好きだよ。……え?眠れない?
……はっはは~。そりゃ困ったな。……寝落ち通話でもする?……俺はすぐ寝ちゃうかもだけど。
……あとさ、ルミちゃん、俺の為にそこまで無理しなくてもいいからね。……え?あ、違うよ!違う違う!……俺はルミちゃんのことが大切だから、心配なんだ。

 (間)

橘月:(M)夜が明けていく。白んだ空を見ると、いつも少しだけ感傷的な気分に浸りながら煙草に火をつける。

橘月:(M)……桜雅、明日は出勤してくれるかな。まあ見るからにホストの仕事は向いていなかったし、来ないかもな。

橘月:(M)でも、もし、もし万が一、明日も出勤してくれたら……そのときは俺が全力で守ろう。

橘月:(M)……もう、氷雨さんのときのようなことは嫌なんだ。



 ●翌日・コンビニ前●

桜雅:あっ!橘月さん!橘月さんだ!おはようございます!

橘月:……お?!おお……なんだ桜雅か。びっくりした。

桜雅:すみません橘月さん、俺昨日……いや、今朝、帰ってすぐ寝ちゃって。
橘月さんに何の連絡もできてなかったので……

橘月:(ふきだす)ぷっ。あっはっはっは!いーっていーって!というかお前、緊張取れるとそんな感じなのな!

桜雅:え……?

橘月:はっはっは。いや、昨日のお前の感じだと、今日はもう家に引きこもって来ねーんじゃねえかと思ってよ!

桜雅:そ、そんな……ひどい!俺はそんなことしません!ホストやりたいですもん!

橘月:はっはっは!気合充分で結構結構!……今日も一緒に出勤、と言いたいところなんだが、桜雅、悪ぃな。

桜雅:…………?

橘月:同伴の予定が入ってる。店にはお前ひとりで行ってくれ。

桜雅:えええ!?そんな!!

橘月:不安か?でもこれは修行だ。頑張れよ桜雅。

桜雅:わ、分かりました……。頑張ります。

 (間)

桜雅:(M)その日の仕事は本当に大変だった。いろんな卓の、ヘルプ回り。

桜雅:(M)一発ギャグは滑るわ、一気飲みはさせられるわで、そんな状況でも先輩キャストさんのことは立てなくちゃいけない。

桜雅:(M)早く橘月さん来てくれないかな……。そう思っていると、店のドアが開いた。

 (間)

桜雅:た、橘月さ……じゃなかった、いらっしゃいませ!!

 (間)

桜雅:(M)驚いた。橘月さんの隣に居たのは、きっと俺よりも歳下であろう若い女の子だった。

桜雅:(M)女の子は重たそうなスーツケースを引いている。旅行帰り、とかなのかな……?

橘月:桜雅、ちょうど良かった。手空いてるんなら、ヘルプについてくれ。

桜雅:は、はい!!今行きます!!

 (間)

橘月:彼女はルミちゃん。幼く見えるけど18歳。俺の中でも、特別なお姫様なんだよ。

桜雅:(M)橘月さんはそう言うと、ルミさんの腰に手を回した。昨日のエミさんにはしていなかったサービスだ。

桜雅:(M)思わず顔を手で覆いたくなるのをぐっとこらえる。

 (間)

桜雅:……は、初めまして!!昨日から入った新人ホストの桜雅っていいます!!えっと、名刺はまだ手書きなんですけど……

 (間)

桜雅:(M)「つまんない」ルミさんは一言そう呟くと、グラスの水を思いっきり俺にかけた。

 (間)

桜雅:っっ……!!

橘月:こらこらルミちゃん、だめでしょー?そんなことしちゃ。ほらほら、落ち着いて。……俺はルミちゃんが笑ってる顔が見たいなあ。

桜雅:……す、すいません。俺、一旦下がります。

橘月:あ、そのっ!……桜雅……。

桜雅:(M)ルミさんが水を掛けた直後に放った台詞が忘れられない。

桜雅:(M)……「コイツ、夜職ナめてるでしょ」……

桜雅:(M)たしかにそうだったのかもしれない。初日から橘月さんが言っていた通りだった。

桜雅:(M)……「ホストの仕事はそんなに簡単じゃない」。

 ●バックヤード●

桜雅:うわあ~……髪までびちゃびちゃ。セットも台無しだな……。こりゃ店戻れるかな……。

 (急いで入ってくる橘月)

橘月:桜雅!!おい、大丈夫か……!?

桜雅:……橘月さん?どうしてここに。その、ルミさんは……。

橘月:トイレっていって抜けてきた。だからあんまり長くはいられないんだけど……

桜雅:そうだったんですか。でも俺なら大丈夫ですよ。

橘月:(被せ気味で)ごめん!!!……俺の客が、酷いことをした。本当にすまない。

桜雅:いやいや、橘月さん、俺は大丈夫ですって……予備のワックスでなんとか……

橘月:(桜雅の話を聞かずに、震え声で)……もう、もう俺は……誰にも傷ついて欲しくない。誰も傷つけたくない……。

桜雅:橘月さん……。

橘月:ルミちゃんさ、今日出稼ぎ帰りで。……相当ピリピリしてたんだと思う。

橘月:……あんなに若いのにさ……俺の為に身体使って、金稼いでさ……。俺、もう見てらんなくて。

桜雅:…………。

橘月:俺ってさ、本当ホスト向いてないよな。

桜雅:……でも俺は、お客さんのことをそこまで考えられる優しい橘月さんが、好きですよ。
ホストとして、尊敬してます。ルミさんだって、他のお客さんだって、きっとそういう橘月さんの性格に惹かれたんだと思いますよ。

橘月:…………。
 (間)
(ふきだす笑い)ぷっ。ははは!はっはっは!
2日目のぺーぺーが、この店のナンバーツーによくもまあ言ってくれたなあ!!

桜雅:あっ……す、すいません。……つい。失礼でしたよね……。

橘月:……逃げてらんないよな。(ひとりごとっぽく)

桜雅:え?

橘月:うし!!俺そろそろルミちゃんとこ戻るわ!!
桜雅は……髪直し終わったら、他の卓のヘルプにつけさせてもらえよ。

桜雅:は、はい!!

 (間)

桜雅:(M)店内からは、ルミさんが大声で橘月さんを呼ぶ声が聞こえる。

橘月:やべーやべー!!お姫様がお怒りだあ!!(笑いながら)

桜雅:……え、えっと……大丈夫なんですか?

橘月:まあ何はともあれ、元気でたぞ!桜雅!ありがとな!!

桜雅:(M)その日の営業はヘルプ回りでヒィヒィ言いながらも、なんとか終了を迎えた。

桜雅:(M)橘月さんはアフターがあると言っていたので、俺は一人で帰路につく。

 (間)

桜雅:(M)橘月さんは、彼自身が言う通りホストらしくないのかもしれない。

桜雅:(M)向いていないとは思わないけれど。だってナンバーツーだし。

桜雅:(M)でも俺は、そんな橘月さんが素敵だと思った。誰よりも人のことを大事にできる、優しい心の持ち主。

 (間)

桜雅:……橘月さんみたいな人こそ、俺にとっては「ヒーロー」なんだよなあ。

 (間)

 ●一か月後●

橘月:おい!桜雅!外掃除もやっとけよー!

桜雅:了解っす!

 (間)

桜雅:(M)なんやかんや、ホストの仕事はもう一か月も続いていた。自分でも驚いたが、目標であるこの人……橘月さんが居てくれるからなのかもしれない。

桜雅:(M)しかし俺は指名を取ることができずに伸び悩んでいた。始めたあの頃からずっと下働き。雑用係のまま。

桜雅:(M)後から入ってきた後輩にどんどん抜かされていく。店長がいい顔をしていないのも知っている。

橘月:おっつー!桜雅、調子はどうだ?来店予定は?

桜雅:……そんなのあるわけないじゃないですか。からかわないでくださいよもう、橘月さん。

橘月:いやあー、俺は人気出ると思ったんだけどな~、桜雅!!純粋ピュアピュアかわいいボーイ!はっはっは!

桜雅:……ホント恥ずかしいんでやめてくださいってば。

橘月:まーまー、まだまだこれからだぞ!?どんどん自分を売らなきゃな!

桜雅:橘月さんに言われた通り、一応頑張ってるんですよ?

桜雅:一人でキャバクラ行ったり、マッチングアプリたくさん入れたりして。

橘月:ん~~~なんだろうな~~~~!なんかな~~!なんかのきっかけがあれば、桜雅は絶対花開くと思うんだよな!ほら、名前に桜って入ってるし!

桜雅:いやそこで源氏名いじりされましても……。きっかけかあ。

橘月:きっかけはある日突然やって来る!!だからそれを逃すなよ桜雅!はっはっはっは!!

桜雅:……分かりました。頑張ります。

橘月:ということで、店長から伝言だ!桜雅、お前今日キャッチ行ってこい!

桜雅:……うえ、キャッチですか?

橘月:路上ナンパも自分を売るための第一歩だ!頑張れよ!ほら!行ってこい!ボール投げるから行ってこい!(冗談、笑いながら)

桜雅:(M)……俺は犬か何かか。

 ●歌舞伎町・路上●

 ●キャッチをする桜雅●

桜雅:(M)……やっぱり、キャッチは苦手だ。ホストクラブで働き始めてから、少しは良くなったと思っていたけれど、俺は元々コミュ障で陰キャである。

桜雅:(M)……路上ナンパなんて無理だよ……。でもこのままだと干される運命しか見えないんだよな。

 (間)

桜雅:てか、外あっちいよ~~!!太陽沈んでもこれだけ暑いとか……9月入ったんだからもう少し涼しくなってくれてもいいのに。

 (間)

桜雅:(M)結局、今日のキャッチも大失敗。それからはいつものごとくヘルプで回され無茶ぶりで飲まされ、なんとか営業が終わった。


 ●桜雅の家●

桜雅:(起きる)ん……あ、あれ?俺……いつの間に寝て……??ここは……俺の家、か。良かった。
……あ、やべ!ということはまーた橘月さんに迷惑かけたかも!連絡連絡っと……あれ?

 (床で寝ている橘月を発見する)

桜雅:ぎゃああああ!!!
……じゃなくて、橘月さん!橘月さん!大丈夫っすか!?

橘月:ん?……んん……もう飲めねェ……(うわごとのように)

桜雅:起きてくださいってば橘月さん!!お水持ってきますんで!!

 (間)

橘月:……水、サンキュー。助かった。

桜雅:すみません橘月さん。俺、営業終了までの記憶はあるんですけど、そこからまったく覚えてなくて。
俺が潰れたから、橘月さんが送ってくれて、そこで橘月さんも力尽きた、って感じなんですよね?

橘月:……いや、半分あってるけど、半分違うかな。

桜雅:え?

橘月:桜雅の家に泊まらせてもらおうと思ってここで寝てた。

桜雅:いやいやいやいや、そんなまた!どうしてです!?意識あったなら帰ればよかったじゃないですか!

橘月:……いや、そうもいかなくなってな~。

桜雅:……どうしてです……?

橘月:家をな、特定されたみたいだ。

桜雅:……え!?

橘月:ルミちゃんがさ、俺の家の前に居たんだ。なんか、すっげー刃物持ってて。

桜雅:……ルミさんが……。

橘月:俺こないだ言っちゃったんだよ、ルミちゃんに。
……もう店来なくていいって。もう俺の為にお金使わなくていいって。自分のこともっと大切にしてほしいって。
まだ若いんだから今からでもやり直せるー、だとか、説教じみたことも言っちゃってさ。
そしたらルミちゃん泣き出しちゃって。「好きな人のために頑張って何が悪いの?」とか、「生きる理由を私から奪わないで」とか言われちゃってさ。
その日からずっと音信不通だったんだよ。ラインの既読もつかないし、電話にも出ないしでさ。
でもさ、俺らはいくら女の子が心配でも、仕事しなきゃいけねーわけじゃん?女の子相手に接客してさ。
そういうのとか、ルミちゃん、嫌がるタイプだったからさ……。

桜雅:……橘月さん……。

橘月:俺、間違えちゃったなあ。ルミちゃんのこと、笑顔にしてあげたかった。……それだけだったのに。

桜雅:橘月さん!今日は店長に事情を説明して、お休みさせてもらいましょ!それで俺の家に居てください!

橘月:…………。……だめだ。

桜雅:え……?

橘月:……俺はもう逃げない。決めたんだ。今日だって、明日だって、きちんとホストとして出勤する。

桜雅:橘月さん……!でも危険ですよ、ルミさんは刃物持ってたんですよね!?

橘月:あー、うん。持ってた。俺、刺されるのかもな。

桜雅:だったら……!!

橘月:でも逃げない。ルミちゃんと、もう一度向き合ってきちんと話をしてみる。

桜雅:でも!もし!最悪の事態になったら……!!

橘月:何と言ったって、俺はあの店のナンバーツーホストなんだぜ!!
そう暗い顔すんなよ、な!?笑え笑え!!はっはっは!!

桜雅:そんな……笑えるわけないじゃないですか……。

橘月:……お願いだ。笑っていてくれ。俺の為に、そんな悲しい顔しないでくれ……。

桜雅:…………。
……俺、橘月さんの笑い方好きですよ。

橘月:笑う門には福来るって言うだろ?だから笑うときはいつも大げさに笑うんだ!俺は幸せに貪欲だからな!はっはっは!

 (桜雅、橘月につられて笑う、しばらく二人で笑う)

桜雅:(M)明るくて、豪快な橘月さんの笑い声。つらいときには、いつもこの笑い声が心の支えとなっていた。

 (間)

桜雅:(M)そして、この日を最期に、橘月さんの笑い声を聞くことは二度と叶わなかった。

 (間)

桜雅:(M)その日、かなりの興奮状態で店に訪れたルミさんを、橘月さんは宥め、店の外まで誘導。

桜雅:(M)なかなか戻らなかったため、内勤スタッフが探しに行くと、恵比寿神社で血を流し倒れている橘月さんと、放心状態でしゃがみ込んでいるルミさんを発見。

桜雅:(M)すぐ側には刃渡り20センチにも及ぶサバイバルナイフが血濡れで落ちていたらしい。

 (間)

桜雅:た、橘月さん……っっ!!!ごめんなさい。ごめんなさい。俺が。俺が。俺が。あのとき無理やりにでも止めてさえいれば!!こんなことにはならなかったのに!!

 (間)

桜雅:(M)俺はすぐに病院へ駆けつけたが、そこに居たのはもう「橘月さん」では無かった。

桜雅:(M)こんなの。こんなの絶対おかしい。どうしてだ?どうして橘月さんが死ななきゃいけなかったんだよ。

桜雅:(M)……誰よりも心が優しくて。あたたかくて。人の気持ちを大事にできて。ちゃんとできているのにしょちゅう悩んで。

 (間)

桜雅:俺は……あなたみたいに、なりたかったんですよ……橘月さん。俺にとってのヒーローは、あなたですから。


 ●二か月後●

桜雅:(M)あの事件から二か月。彼のことを思い出さない日はない。苦しくて堪らなくて。本当に自分はここに居てもいいのかと、何度も自分に問いかけた。

桜雅:(M)相変わらず指名は取れないし、雑用ばっかりの下働きだけど。それでも……

 (間)

橘月:(声だけ)なんかのきっかけがあれば、桜雅は絶対花開くと思うんだよな!ほら、名前に桜って入ってるし!

 (間)

桜雅:(M)そう。俺は桜なんだから。きっといつか、花開くときを信じて。

 (間)

桜雅:……あっ!あの、お姉さん……?その、お仕事終わり……ですか?


●つづく●

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