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歌舞伎町の中心で〜Another Story〜【1:1:0】【ラブストーリー】

『歌舞伎町の中心で〜Another Story〜』
作・monet

所要時間:約30分

●あらすじ●

一一背負っているものがいくら多かろうと、人間は幸せになれるよ。

※当シナリオには、風俗やホスト、借金などの要素が含まれます。苦手な方、トラウマがある方などはご注意ください。

拙作「悪友か盟友か分からないけれど」、「左近の桜、右近の橘」、「歌舞伎町の中心で」の後日譚・スピンオフ作品です。先に読んでいないと分からない部分があるかもしれません。よろしければそちらも併せてお楽しみください。

咲葵/♀/咲葵(さき)。源氏名。元風俗嬢で元ギャル。

氷雨♂/氷雨(ひさめ)。源氏名。元ホストで現起業家。

【ここから本編】


 ●吉原・ソープ街●

咲葵:(N)ここは吉原。今から百年前くらいまでは、政府公認の遊郭であり、数々の遊女が手を引き、客を取って栄えた。
しかし売春防止法が成立し、本格施行されてからは、その文化も消滅した。

咲葵:(M)……そして残ったのは、華やかさの面影も無い、この陰気臭い街だけってことだ。

咲葵:(M)あたしは数年前からここ、吉原にある高級ソープで働かせてもらっている。
借金があって、とにかくお金が無いので、お店が用意した寮に住まわせてもらっている。
そう、あたしはここに来てからの数年間、一度も吉原近辺から出たことは無い。

 (間)

咲葵:(M)それこそ、江戸時代の遊女とか、みたいな。……そんな感じ。

 (間)

咲葵:(M)風俗の仕事はここへ来る前からやっていた。渋谷と、池袋で。でもそれは「ヘルス」と呼ばれる性的サービス提供店であって、ここ、「ソープ」とはそもそも店の形態が違う。

売春は法律によって禁止されている。だから性的サービス提供店での「本番行為」は完全アウト。

だけどここは違う。そもそも性的サービス提供店じゃないし、ここは「特殊浴場貸出場(とくしゅよくじょうかしだしじょう)」と呼ばれる施設だ。

あたし達ソープ嬢は、特殊浴場に来た客の入浴介助を行うのが仕事。もちろん、そこで恋に落ちてどうにかなってしまうのは自由。

そう、それこそが、法律の抜け穴なのだ。

と、まあ、ソープについて一通り説明したところだけど、あたしは今日でこの店を卒業する。借金をようやく返し終わったのだ。

思っていたよりも随分と時間がかかってしまった。だけどこれでも、かなり頑張った方だと思う。そう、あたしは元々怠惰なのだ。

 (咲葵のナレとモノローグ終わり)

 ●咲葵、接客中●

咲葵:(台詞)こんにちは!ようこそいらっしゃいました!咲葵です♪
って、ええ!?こんな凄い花束!!……今日が最後だから、って……。山田様、ありがとうございます!ぜひ、お部屋でゆっくり見せてください!

咲葵:(M)客から貰ったのは、チューリップの花束だった。あたしが一番好きな花。

 (間)

咲葵:(M)あたしは今日、この吉原を卒業する。

 (場面転換)

 ●歌舞伎町●

氷雨:(M)歌舞伎町の中心で、少しいいマンションを借りた。俺はこの街が嫌いだが、彼女はきっと喜ぶだろう。

俺は不動産屋に部屋の鍵を取りに行き、喫茶店で彼女を待っていた。

咲葵:(台詞)……氷雨!!

氷雨:咲葵。

氷雨:(M)晴れやかな笑みを浮かべる彼女は、まるで鳥かごから放たれた一羽の鳥だった。

咲葵:(台詞)歌舞伎町なんて、本当に数年ぶりに来た。

氷雨:当たり前だろう。ずっと吉原の方に居たんだから。

咲葵:それはそうだけど!

咲葵:(M)……氷雨と出会って、すべてを失って。大切なものに気づいた街。それが、あたしにとっての歌舞伎町。

 《回想》

 ●数年前・池袋西口、繁華街●

氷雨:(M)咲葵と初めて出会ったのは、池袋西口の繁華街だった。本当に偶然だったんだと思う。

その日は雨が降っていて。俺は池袋西口の繁華街で、呆然と立ち尽くしていた。もちろん傘なんて持っていない。

 (間)

咲葵:……あの、大丈夫、ですかね……?もしかして、病んじゃってる系?

氷雨:…………。

咲葵:あー……えっと、こういうの、って……余計なお世話っすよね~!あはは。

氷雨:(雨に濡れたまま咲葵を見る)

咲葵:えっ!?……うわ、ちょっ、水も滴(したた)る超イケメン!?これはあたしちょっと、ほっとけ無いかもな~!

氷雨:……いえ、その、お構いなく。

咲葵:えっと、えっとね?聞こえてた?あたし今、「ほっとけ無い」って言ったんだよ!?

氷雨:……すみません。

咲葵:いやいや待ってよ!逆ナンとかじゃないから!普通に雨に濡れすぎてて心配だし!傘貸すからとりあえず雨宿りできるとこまで行こ!?

氷雨:……いや、でも俺、この後仕事で……

咲葵:はあ!?そんなびしょ濡れで!?……んーと、そうだな。それだったらとりあえず駅行こう駅!あたしもちょうど帰るところだし!

 (場面転換)

 ●池袋駅●

咲葵:(軽い息切れ)とりあえず、タオルいろいろ買ってきたけど……もうこれは、一回シャワー浴びに家帰った方がよくない?職場に連絡してさ。

氷雨:ありがとうございます……。……でもそれは、罰金があるので。

咲葵:罰金……?あれ!?もしかして夜職の人!?

氷雨:そうですが何か……。

咲葵:あたしもだよー!今は池袋で働いてるの!なんとなくだけど、同じ匂いを感じてたんだよね!なんだあ~そういうことか!

氷雨:俺は、歌舞伎町でホストやってて……でも、ちょっとまずいことになって。どうしたらいいか分からなくなって。あそこに立ってました。

咲葵:あ~~なるほどね!あるよね、そういうとき!……あ、じゃあさ、これから出勤するなら、あたしもちょうど仕事終わりだし、話聞いてあげるよ!

氷雨:……え?でも、お金かかりますよ?助けてもらった上にそこまでしてもらう訳には……。

咲葵:初回は安いんでしょ?ホストクラブって!風俗嬢なめてもらっちゃ困るなあ!あ、来店予定とかあるならそっち優先させた方がいいかもだけど。

氷雨:いえ、今日は見ての通り大雨ですし、ありません。お言葉に甘えてしまってもいいなら、店までご案内します。

 (場面転換)

 ●氷雨の働くホストクラブ●

咲葵:ホストって初めて来た~!わ~!すっごい!!

氷雨:内装も外装もボロボロだけど、古いから許してほしい。

咲葵:そんなの関係ないっしょ!楽しくお酒飲めればオッケーなんじゃねっ!?

氷雨:そう言ってもらえると助かる。俺は「氷雨」って言います。氷に雨で氷雨(ひさめ)。中二病全開だよな。はは。

咲葵:ええ~!?氷雨くん。ぴったりだと思うけど。ちょうど雨に濡れて冷たそうだったし。

氷雨:それは本当に悪かったから。あんまりからかわないでくれ。

咲葵:ゴメンゴメン!!……あ、あたし名乗ってなかったね。あたしは「咲葵(さき)」っていいます。咲くに葵(あおい)で咲葵。源氏名(げんじな)だけど!

氷雨:咲葵かあ。いい名前だね。……あ、呼び捨てでもいい?ちゃん付けとかさん付けとか、性分じゃないというか……苦手なんだよね。

咲葵:もっちろん!!咲葵でいいよ!そっちのが呼ばれ慣れてるし!あ、じゃあじゃあ、氷雨くんのことも、氷雨って呼んでいい?

氷雨:もちろん。俺もそっちの方が呼ばれ慣れてる。「氷雨くん」って呼ばれたときなんかムズムズした!

咲葵:あはは。なんかあたしたち似てるね。
……ということで氷雨、いったい何があったのさ。

氷雨:ああ。その話なんだけどな……。

咲葵:うんうん。

氷雨:話すと少し長くなるんだけど。

咲葵:うんうん。ぜんっぜんいいよ!!

 (間)

氷雨:(M)俺は一通り、今まであったことを咲葵に話した。家庭環境にコンプレックスがあること。生みの親を知らないこと。高校まで出してくれた、育ての親を楽させたくて東京に出てきたこと。ホストを始めたこと。

そして……それが田舎の同級生にバレ、悪い噂を広められたこと。そのせいで、育ての親の立場が非常に悪くなってしまったということも。

 (間)

咲葵:それは……大変だったね。氷雨。

氷雨:どうして、どうしてこんなことになったんだよ。俺は、俺は……ただ……。

咲葵:よしよし、大丈夫だよ。

氷雨:咲葵……俺は、俺はこれからどうすればいいんだろう。

咲葵:あたしに名案がある。

氷雨:名案……?

咲葵:氷雨の親を、田舎の皆を、騙したらいい。

氷雨:騙すって?

咲葵:氷雨はまだホストを続けたいんでしょう?

氷雨:そりゃもちろん続けたいさ。

咲葵:それじゃあ、あたしに任せて。あたし、嘘ついたり誤魔化したりするの、大得意なの!

 (間)

氷雨:(M)咲葵は次の休みの予定を合わせて、俺の田舎までついて来てくれた。俺の「彼女」という設定で。

氷雨:(M)咲葵の嘘は巧妙(こうみょう)だった。大学で印刷したという、偽の連帯保証人証明書まで作って、俺は「彼女の借金を返すべく夜働いていた」という、まるで不憫な好青年かのような設定にされてしまっていた。

氷雨:(M)そして当然、悪者は咲葵になり、俺の悪い噂は綺麗さっぱりと流されてしまった。

 (場面転換)

 ●帰りの電車●

咲葵:ね?上手くいったでしょ?

氷雨:本当によかったのか?こんなやり方……。

咲葵:いいよ。もう二度と関わること無いだろうし。
……嘘ってね。悪い嘘だけじゃないの。こういうときこそ、上手く使わなくっちゃ。
それに、氷雨は家族のこと大切にしてるけど、ホスト続けたいんでしょ?

氷雨:ああ、俺は、今の店でナンバーワンになって、大金稼いで起業したいって思ってる。

咲葵:ナンバーワン!!起業!!すごい!!あたし、応援するよ!!

 (間)

氷雨:(M)咲葵から教えてもらった「嘘」。どうやら俺は、使いこなすのが上手かったらしい。それからの俺は、どんどん指名が取れるようになり、着実に売上を伸ばしていった。

氷雨:(M)「嘘」で繋がった咲葵との関係。それはとても甘くて、優しくて。そして俺は、強く咲葵に惹かれていった。

 《回想終了》

 (場面転換)

 (煙草をふかす氷雨)

氷雨:……咲葵、煙草やめたの?

咲葵:うん。禁煙中。

氷雨:なんというか、変わったな。雰囲気も落ち着いたし。

咲葵:そりゃあ、あれから何年経ったと思ってるの。あたしも大人になるよ。

氷雨:俺も歳とったなあ。知ってるか?三十にもなると、職質受けても「お疲れ様です!」としか言われなくなるんだぜ。

咲葵:ははは、それめっちゃウケる。
咲葵:……あたしは、これからどうしようかなあ。

氷雨:大学への復学届はもう出してきたんだろう?ここからゆっくり考えればいい。

 (少し間)

咲葵:……でもさ、氷雨、覚えてる?あたしが第六トーアビルから飛び降りようとしたときに、駆けつけて言ってくれた言葉。

氷雨:もちろん覚えてるし、今でも変わってない。

咲葵:嬉しかったなあ……。あたし、本当にびっくりしちゃって。氷雨の言葉、全部嘘だって決めつけちゃってたからさ。

 (場面転換)

 《回想》

 ●第六トーアビル、屋上●

咲葵:(M)あの日はもう、何もかも見えなくて。本当に全てを終わらせようと思っていた。

氷雨:(ひどく息を切らしながら)咲葵!!

咲葵:……氷雨……なんで……あたしはもう用済みなんじゃなかったの?

氷雨:そんなこと一言も言ってないだろ!!

咲葵:でも……氷雨が言ってくれた言葉は……全部嘘だった。本営(本命彼女のように見せかける営業)だった。あたしは都合のいいただの客だった。

氷雨:違う!!

咲葵:何が違うの……全然分からないよ。

氷雨:ごめん咲葵。俺は確かに咲葵に嘘をついた。でもこれは、咲葵から教えてもらったんだよ。
……上手い嘘のつき方。

咲葵:……っっ!

 (氷雨、呼吸を整えて)

氷雨:夢を叶えて、咲葵と一緒に暮らすには、他の客への接待ももちろん必要不可欠だった。
何よりナンバーワンになって、起業して、咲葵に楽をさせたかった。もうつらい思いはさせたくなかった。

氷雨:でも俺は不器用だからさ。他に太客(ふときゃく)捕まえようと躍起(やっき)になって、咲葵は本命じゃないだとか、そんなこと言って突き放して。
咲葵ならきっと分かってくれるって。理解してくれるはずだって。どこかで甘えてたんだよな、俺は。

咲葵:え……じゃあ、被りの子に本命だって言ってたのは……

氷雨:咲葵のためだ。……って言ったら、信じてくれるか?

咲葵:…………。

氷雨:俺はさ、いつも優しい咲葵に甘えて、嘘ばっかりついて。一か月前から約束してた水族館デートも、太客捕まえられそうになったら、あっさりドタキャンしてさ。
咲葵が傷つくって分かってて、酷いことたくさん言った。本当ごめん。仕事の為だからって、咲葵の為だからって、自分を正当化してさ。

氷雨:上手くやれてると思ってた。でもそれは全然違った。不器用な俺には、上手い嘘なんかつけやしない。
俺は何のために、そこまで躍起になっていたんだろうな。本当に大切にするべきものを間違えちゃ、意味が無いのに。

咲葵:氷雨……それって、どういうこと……?

 (間)

氷雨:俺が本当に好きなのはお前だけだ、咲葵。こんな嘘ばっかりのホストのことなんて信じられないかもしれないけど、でも……

咲葵:……信じるよ。というか、あたしは氷雨のこと信じたい。氷雨が本当は心優しくて、弱い一面を持っていること。ちゃんと知ってるよ。
といってもあたしも嘘つきだから、信じてもらえるかどうか分からないけど。

氷雨:……嘘で繋がったこの関係だからこそ分かるんだ。今の咲葵の言葉には、嘘が無い。

氷雨:……信じるよ、咲葵のこと。

咲葵:……こんな嘘つきでも?

氷雨:そんな嘘つきでも、俺は咲葵のことが好きだ。

咲葵:……じゃあさ、氷雨。

氷雨:ん?

咲葵:もっと笑ってよ。……あたしの為に、そんな悲しい顔しないで。
氷雨は、笑顔がいちばん素敵なんだから。

 (間)

氷雨:……俺のツテで、すごく待遇のいい高級ソープがある。寮も綺麗だし、スタッフの質も、客層もいい。咲葵なら一千万なんてすぐ返せる。
どうだ?働いてみないか?もちろん俺への借金だけ返してくれれば、スカウトバックなんて取らないし、それは街金(まちきん)への返済に充(あ)ててほしい。

咲葵:でも、そんなの……いいの?

氷雨:ああ。だって咲葵は、俺の恋人だからな。

 《回想終了》

 (場面転換)

咲葵:あれから氷雨が、吉原の店に何度か遊びに来てくれたのは本当に嬉しかったな。
あたしはあそこから動けない、まさに鳥かごの中の存在だったから。

氷雨:当たり前だろ?好きなんだから、顔くらい見たくなる。

咲葵:氷雨が、あたしのことを本気で好きでいてくれてたなんて、まったく想像つかなかったな。
ただのエースでいいって思ってたもん。

氷雨:まあその割には、一千万もの借金作ってたわけだけどな。

咲葵:ご、ごめんってば……!!

氷雨:いいよ。だって咲葵は吉原で頑張って、借金返し終わったわけなんだから。

咲葵:氷雨……。

 (間)

氷雨:よし、そろそろマンション向かうか!

咲葵:えへへ。あたし楽しみ。

氷雨:なんというか咲葵、本当に、大人しくなったな。

咲葵:吉原での修行の賜物(たまもの)かな?

氷雨:なるほどね。

咲葵:そういう氷雨こそ、前より表情が柔らかくなった。

氷雨:そうかな?

咲葵:そうだよ。

氷雨:でも、俺にもいろいろあったんだ。

咲葵:……橘月くんの、こと?

氷雨:橘月は……もういない。

咲葵:それは本当に……残念、だったね。

氷雨:今でも思い出すよ。あいつの気持ちいい笑い声を。

咲葵:確かに。よく笑う人だった。

咲葵:……あたしも、花凜に会いたいなあ。

氷雨:相変わらず、連絡はつかないのか?

咲葵:二年前くらいから。既読すらつかないの。もうとっくにブロックされちゃってるんだろうな。

●マンションの一室●

咲葵:わああ~~!!すっごい!!歌舞伎町が一望できる!!こんな素敵な部屋、よく借りれたね!!

氷雨:まあな。

咲葵:さっすが!元ナンバーワンホストにして、起業家の氷雨さん!!

氷雨:その氷雨さんを支えたのは、他でもない咲葵さんですよ。

咲葵:えへへ。

氷雨:咲葵、本当に出会った頃に比べて大人しくなったというか、女らしくなったというか……。

咲葵:そんなに!?そんなに昔のあたし酷かった!?

氷雨:いやいや、今も昔も、俺は咲葵のことが好きだよ。

咲葵:あたしも、氷雨のことが好き。

(※キスシーン入れてもらっても、無しでも、二人で微笑みあっても、お任せします)

氷雨:……ちょっと遠いけど、見えるか?あそこが、昔うちの店があったビルだ。それで、今は移転してあそこにある。

咲葵:へええ!そうなんだ!けっこう場所離れたね!

氷雨:テナントがなかなか見つからなかったみたいでな。当初の移転計画よりも、だいぶ先延ばしになったんだよ。

咲葵:なるほどね。

氷雨:……ところで咲葵、明日から大学だろ?

咲葵:あっ!そうだった!準備しなきゃ!

●翌日●

咲葵:(M)ギャル系の恰好は卒業した。あたしもそれなりの歳になったのだ。少し大人めのフェミニンスタイル。もちろん高級ブランドなんかじゃなくて、すべてプチプラ商品。

咲葵:(M)吉原を卒業して、新宿に戻ってきたとき、一番驚いたのはこれだった。あれだけ好きだったブランドショップに少しも心が動かされなかったのだ。

咲葵:(M)あの閉鎖された空間で矯正されて、少しは浪費癖も良くなったのかもしれない。

咲葵:(セリフ)じゃあ、行ってくるね!氷雨!

氷雨:おう。久々の大学頑張れよ!

咲葵:頑張るよう!知ってる人誰もいないから、マジで緊張しちゃうけど。(笑う)

氷雨:よし、俺も仕事頑張るかな!

咲葵:頑張ってね!本当に応援してる!

氷雨:(M)俺の作った会社は、夜働く人達を全面的に支援する会社。社会的な差別や偏見を払拭して、夜職コンプレックスを無くしてもらうために、さまざまな事業を展開している。

氷雨:(M)カウンセリングなどのメンタル支援から、格安ドレス、スーツ、ランジェリーなどの物品支援まで。

氷雨:(M)俺はもうホストを辞めたけど、夜働く人達が少しでも楽になるように。そう考えて始めた会社だった。

●咲葵の通う大学●

咲葵:(M)数年ぶりの大学。もちろん知っている人なんて誰もいない。でも、今のあたしには学ぶ意欲があった。あたしの学部は経営学部。経営学を勉強して、少しでも氷雨の役に立ちたい。

咲葵:(M)真面目に勉強したのなんて何年ぶりだろう。あたしは大学が終わると、大型のスーパーに立ち寄り、夕飯の食材を見繕った。

咲葵:(M)あたしは不器用だし、料理の経験も無いけれど、昔花凜が作ってくれたあのポトフ。あれならきっとあたしにも作れるだろう。

咲葵:(M)……すごく美味しいんだよね、あのポトフ。氷雨も、喜んでくれるといいな。

咲葵:(M)そしてあたしは買い物の最後、アイス売り場に目が留まる。……あ、ガリガリくん……昔、氷雨好きだったよね。今でもまだ好きかな?

咲葵:(M)あたしはソーダ味と梨味のガリガリくんをかごに入れると、お会計を済ませ、そのままマンションへ帰った。

●氷雨の働くオフィス●

(氷雨のスマートフォンが鳴る)

氷雨:ん……?電話、桜雅か。……もしもし?

氷雨:(M)桜雅とは、俺の弟分であった橘月が可愛がっていた新人ホストだ。……といっても、もう新人では無いのか。

氷雨:(M)おどおどしていて苦手なタイプだと思っていたが、橘月のあの事件があってから、よく話すようになっていった。

氷雨:(セリフ)桜雅、店はどうだ?……うん?その相談じゃないのか?……橘月の墓参り?……ああ、そうか。たしかに、そろそろ行かなくちゃな。スケジュール調整しとくよ。電話ありがとう。

●ふたりのマンション●

(料理をしている咲葵)

咲葵:……痛っ!!あちゃあ、指切っちゃった……止血止血っと……。

咲葵:あーん!やっぱりあたしには料理なんて向かないよう……。花凜ってホントに凄かったんだなあ。

咲葵:……具材を入れて、コンソメの素を入れて、よし!これで一応、一通りはオッケー!あとは煮込んだら完成!

咲葵:(M)……花凜。どうして既読つかないのかな。やっぱりあたしのことなんて、もうどうでもよくなっちゃったのかな。

咲葵:(M)そりゃあそうだよね。あれから何年経ってるんだ、って話。きっといい人見つけて、今頃幸せに暮らしてるんだよ。

咲葵:(M)……うん。そう信じよう。

咲葵:(セリフ)……だってそこに、あたしは必要ないもの。

●氷雨、帰宅●

氷雨:ただいま、咲葵。

咲葵:おかえり、氷雨。

氷雨:……お?この匂いは……なんか料理してくれてたのか!?

咲葵:えっへへ~。実はね。花凜の得意料理だったポトフ。味の保証はしないけど!!

氷雨:咲葵が料理なんてな……信じられないよ……。

咲葵:えっへん!だから言ったでしょ?咲葵ちゃんは大人になったのです!

氷雨:じゃあ、ありがたく頂こうかな。

(間)

咲葵:あ!氷雨!氷雨ってまだ、ガリガリくん好き?

氷雨:え……ガリガリくん?もちろん好きだけど……。

咲葵:ソーダ味でしょ!

氷雨:よく覚えてたな……。

氷雨:そして咲葵は、梨味だろ?

咲葵:よく覚えてたねぇ~!

氷雨:アフター帰りによく買ったよな!ホント懐かしいわ!

咲葵:でしょ?ごはん食べ終わったら、一緒に食べようよ!

氷雨:賛成!

氷雨:……それで咲葵、大学はどうだったんだ?

咲葵:あはは。まあ思ってた通り知ってる人は誰もいなかったけど、現役で通ってた頃よりかは遥(はる)かに勉強にやる気が出たかなあ~!

氷雨:おお!また、咲葵らしくもない!

咲葵:え~!!ちょっと何それひどい!!

氷雨:はっはっは。まあ、勉強頑張るのはいいことだ!

咲葵:……氷雨、ようやく笑った。

氷雨:……え?

咲葵:あたしが吉原のソープで働き始めてから、氷雨、全然笑わなくなって。あたしすごく心配で。あたしのせいで笑わなくなっちゃったんじゃないかって。

咲葵:でも、今ちゃんと笑ってくれた。嬉しい。

氷雨:それは……咲葵が嬉しそうに笑ってくれるからだよ。

氷雨:咲葵が笑ってくれるから、俺もきっと笑える。

咲葵:氷雨……。

氷雨:そうだ、咲葵。近々、橘月の墓参りに行くことになってな。咲葵は知らないと思うが、橘月が可愛がってた後輩の桜雅ってやつと一緒に行く予定だ。

氷雨:どうだ?咲葵も一緒に来ないか?

咲葵:え……?あたしも一緒に行っていいの?

氷雨:もちろんだよ。人が多い方が橘月も喜ぶだろう。

咲葵:じゃあ、あたしも行く!……どうしよう!何着ていこう!

氷雨:はっはっは。そんなに緊張することでもないさ。

●墓参り当日●

氷雨:桜雅はまだ、来てないみたいだな。

咲葵:ここが、橘月くんが眠っているお墓……。橘の花が、飾ってある。

氷雨:ああ、これはきっと桜雅だろう。あいつ、しょちゅう来てるみたいだからな。

氷雨:「左近の桜、右近の橘」っつってな。今の立派になった桜雅を、橘月にも見せてやりたかった。

咲葵:……?さこん?うこん?

氷雨:特に意味は無いよ。ただ、昔から、桜と橘ってセットにされることが多いんだ。

咲葵:……ふぅん。そっか。

咲葵:でも、桜雅くんって子も、きっと優しい子なんだろうな。一人でこんなに、先輩のお墓に通うだなんて。

氷雨:……うーん。最近は、一人でもないみたいだけどな。

咲葵:どういうこと?

氷雨:あ!おーーい!桜雅!こっちだ!

咲葵:(M)あたしは振り返る。そこには氷雨に向かって手を振るカワイイ系の男の子、桜雅くんがいた。

咲葵:(M)そして、その後ろに控えめに立っている人物を見て、あたしは驚愕する。

咲葵:(M)だって、そこに居たのはかつての悪友であり盟友……

咲葵:(セリフ)……花凜っっ!!花凜だよね!?花凜っっ!!……やっと、やっと会えた。生きてさえいれば、またどこかで会えるっていうのは、本当だったんだ……花凜……。

(咲葵、花凜に抱きつく)

(花凜は驚いてそのまま立ち尽くすが、やがて笑顔になり咲葵を抱き返す)

(桜雅は何のことか分からずおよおよとしているが、きっといいことだというのは感じ取っている)

(氷雨は三人を見ながら楽しそうに笑っている)

(桜雅が氷雨に状況を問う)

(氷雨は答えず、橘月の墓に向き直って語り掛けるように微笑んだ)

氷雨:(M)それから俺たち四人は橘月に手を合わせた。橘月が巡り合わせてくれた出会いだ。橘月には、感謝しなくちゃな。

氷雨:(セリフ)これからも、俺たちのことを見守っていてくれ。お願いだ、橘月。
 : 
 : 
氷雨:(N)ここは歌舞伎町。人間の醜い感情や私怨が渦巻く街。何が本当かも分からないこの街にも、確かに「本当」は存在した。
 : 
 : 
●おわり●

※補足として、氷雨は橘月が亡くなってすぐ店を辞めているため、花凜が店に来て桜雅と恋仲になっていたことは知らなかった。また店が移転して新しくなっていた為、花凜も同じ店だとは気づかなかった。

【ここからは「歌舞伎町の中心で~AnotherStory~」からシナリオを手に取ってくださった皆様への人物紹介です。】

橘月:(たつき)。源氏名。氷雨の弟分だったホスト。現在は亡くなっている。詳細はシリーズ作品「左近の桜、右近の橘」から。咲葵も橘月もお互いのことは知っている。(※詳細は「悪友か盟友か分からないけれど」から)

花凜:(かりん)。源氏名。咲葵のかつてのルームメイト。二年ほど前から連絡はつかなくなっている。詳細はシリーズ作品「悪友か盟友か分からないけれど」、「歌舞伎町の中心で」から。氷雨も花凜も、お互いのことは知っている。

桜雅:(おうが)。源氏名。橘月が可愛がっていた新人ホストで、氷雨の後輩にもあたる。花凜とは恋仲。詳細はシリーズ作品「左近の桜、右近の橘」、「歌舞伎町の中心で」から。氷雨も桜雅もお互いのことは知っているが、咲葵は桜雅のことを知らない。




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