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あれから

信州大学病院へ搬送する救急車に父と市民病院の担当医、母と私も乗り込み松本へ向かいました。

救急車の狭い車内でぎゅう詰めになりながら私と同じ年頃だという担当医と話していると

唐突に「よく取り乱さないね。僕ならとても無理だよ」と言い出しました。

なんでも先生のお父さんはとても立派な方で今でも尊敬しているから

少しでもお父さんの調子が悪くなるとすごく慌てるんだそうな。

そっか。人前でも家族を想って泣いたりわめいたりするんだ。

淡々と受け答えする私の様子がよっぽど奇妙に見えたのでしょうね。

他人から突然自分の反応が冷淡だと指摘されて妙に納得してしまう。

「先生は幸せですね」と適当に話を切り上げ静かになった車窓からぼんやり外を見ると辺りがすっかり暗くなっていました。


普通高速をすっ飛ばしても2時間はかかる道のりを1時間半で信州大学病院に到着し市民病院の先生とはここでお別れです。

数時間後、無事に手術が終わり待合室で朝まで過ごそうと思っていたら

看護師さんが付き添いの家族が利用する近くの旅館を紹介してくれました。

宿を目指し母と二人真っ暗な通りを歩いていると

晩秋の夜の冷たさが身に染みて随分遠くまで来てしまったなと

移住後初めて心細く感じました。

朝を待ってご近所のYさんに連絡し、横浜に嫁いだ姉にも報告しました。

姉は事件当日私に何度電話をかけても出ないのを心配していたようです。

1週間後、自宅に父が戻る日に合わせ姉家族が駆けつけてくれました。

その年は雪が早めに降り始め、しかも50cmも積もってしまい家の周りは真っ白です。

雪が降ると村道までは毎日除雪車が入り塩カルが撒かれるので大丈夫ですが

別荘地の中は私道の上に急な上り坂なので積もった雪が凍るとよっぽど慣れた人でないと運転するのが怖いのです。

そんな中会いに来てくれた姉夫婦に感謝しつつ、電車で気軽に行き来出来ない場所に私たちが居るのは今後二人に大きな負担をかけるのでは?と考えるようになりました。


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