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そして、2回目の投稿は中学生時代の話です。

 前回初投稿で、その日のうちに5つも「スキ」をいただきました。ありがとうございました。その後もスキやフォローしてくださった皆さま、ありがとうございました。

 今日は中学生の頃を振り返ります。町立の中学校には、毎日自転車で通っていました。当時は恥ずかしかったヘルメット。後にスピードの出しすぎでカーブを曲がりきれずに田んぼに落っこちた時には、かぶってて良かったーと思いました。

 バスケ部に入りました。ドリブル左右1000回とか、空気椅子とか、ランニングとか、練習がとてもきつくて、先輩も怖くて、2週間で1年生は半分くらいになりましたが、辞めたいと思ったことはありませんでした。スピードと、身体の強さと、心の強さ、シュートの正確さと、チームワークが必要なバスケットボールというスポーツがすっかり好きになりました。

 2年生の時に顧問の先生が変わって、そこからさらに練習が厳しくなったのですが、強くもなってきて、放課後もバスケ、休みの日もバスケ、庭に父がゴールを作ってくれたので、家でもシュート練習の日々でした。県大会で最後はベスト8くらいまでいったと思います。

 バスケ部の仲間とは毎朝待ち合わせして通学、練習の後も一緒に帰り、土日も練習で一緒で、今でも仲が良く、帰省した時には時間を作って集まってくれます。もう、2年くらい帰れていませんが・・・。通学途中か練習中かどの場面でなのか定かではないのですが、みんないつも歌っていたんだろうと思います。お互いが好きだったミュージシャンの曲を今でも歌えます。RCサクセション、中島みゆき、横浜銀蝿。

 当時私が一番好きで今でも好きなのが、ユーミン!従兄が持っていた「サーフ&スノー」を皮切りに、全部カセットテープにコピーしてもらって毎日聞いていました。当時は意味がわからなかった歌詞が、大人になって「これか!」とわかった時の喜びと言ったら。

 自分の部屋の窓から裏山の緑を見ながら「私のフランソワーズ」を聴いて、私にとってはまさに松任谷由実さんがフランソワーズだ。としみじみ思っていた中学生はその後もずっとユーミンのレコード、CDを買い続け、ずっと好きです。

 中学時代に初めていじめにあいました。相変わらずいじめっ子をかばい、勉強もそこそこできて、学級委員も率先してやり、先生に気に入られるいい子だったことが理由で、野球部の同級生からネチネチといじめられました。あんまり思い出したくないですが、目立つことをするのはやめようと思ってしまったのはこの時からだと思います。

 初めてマフラーを編んで、バレンタインにプレゼントしたのは1年生の時でした。青い鹿の子編みのマフラーで、編み始めはなかなか目が揃わなくて、編んでいくうちに慣れてきて、キチンと編み目が揃うようになると今度は力が入りすぎて、目が詰まり、最初と最後で幅が10㎝くらい違うという代物でした。相手の、いじめっこではない野球部の同級生のことが好きだったかというと、そうでもなくて、バレンタインに誰かにチョコレートとマフラーをプレゼントするということに憧れていただけだったんだと思います。

 その翌年には、グレーのベストを編みました。ツイード風の毛糸で繩編みで模様をつけて、木のボタンを付けてそこそこ上手く編めたと思ったら、痩せてる彼が2人入りそうなサイズになってしまいましたが、編み直す時間もなくて、結局そのまま渡してしまいました。同じバスケ部の同級生でした。

 冬の放課後、真っ赤な月が昇ってくるのをグラウンドで見ていた記憶と村下孝蔵の「初恋」がセットになってずーっと心の奥に残っています。ユーミンの「卒業写真」も中学時代の思い出の1曲です。

 バスケを始めてからずっとショートカットで、チェッカーズみたいな、前髪が半分だけ短いといった髪型でした。体育祭で学ランを着て応援合戦に出た時には、完全に男子だと思われていました。まだ、この頃は男の子に生まれたかったと思っていました。

 当時よく言われたのは、将来は警察官か学校の先生になったらいいのに、ということでした。真面目そうに見える子供だったからだと思います。学校の先生というのは、他の世界を知らない偏った大人だと思っていたのでなりたくなかったし、警察官は威張ってる大人だと思っていたのでなりたくなくて、将来の夢は、まだ具体的にはなかったと思います。「私の将来」という作文を書いて、県の弁論大会に出たはずなのですが、何を目指していたのか覚えていなくて。

 ただ、公立の中では偏差値の一番高い高校に進学しようと思ったのは、将来に備えてできることはやっておこうと思ってのことでした。全然勉強熱心ではなかったので、3年になって初めて塾に通いました。何とか志望校に合格できましたが、初恋の人とは違う高校に進むことになりました。誰かのために志望校を変えるなんて正しくないと思ったし、そんなことしたら絶対に後悔すると思ったのは、よく覚えています。

 中学生になって、世界が広がって、バスケに夢中になって、時に5ファールで退場になるような激しい自分と、編み物や、フェルトで小さいマスコットを作ることや、読書や手紙を書くことが好きな自分と、自分の中に男子と女子が両方いるような感覚でした。なぜか、いつも潔くありたいと思っていました。

次回高校時代に続きます。

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