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6回目は生意気な新入社員が生意気なまま管理職になるまで

不穏なニュースに、胸が塞がる毎日ですが、とりあえずそのことについては考えないで、続きを書きます。そうでければ、始めたことを終えられないので。

日本に戻り、中途採用という形にはなりましたが、希望の部署で働き始めると、自分でも驚くほどに、あちこちで、生意気だと言われてしまいました。イタリアで2年働いたことで、成長もしたし、たくさんのことを身に付けたつもりでいたのですが、もちろん、まだまだ知らないことだらけ、常識もないということで、元気とやる気だけのラッキー入社新人と言われていました。イタリアのグループ会社の社長の推薦と、人事部長との面接だけで入社できたことを指して。

電話に出れば、早口すぎて何を言っているかわからないと、外部の方にお叱りを受け、何かにつけて、そんなことも知らないのか?と上司から嫌味を言われ、「イタリアにいたから何?」と露骨に言う人もいました。今でも言われることですが、「普通そんなことしないでしょ?」というのもありました。この、「普通」が本当に難しくて、いまだに難しいと思っているのですが、最近はもうちょっとあきらめ気味です。

あんまり空気も読めないし、声も大きいし、思ったことははっきり言うし、扱いづらい新人、と思った人と、やる気ありそうだし、あれこれやらせてみたら面白いかもと思った人がいて、後者が上司になってからは、俄然仕事が面白くなりました。

今でも働いている会社のことなので、あんまり具体的なことが書けないのですが、担当した仕事は、いわゆる販売促進でした。当然覚えることもたくさんあって無我夢中で毎日毎日、少しづつでもできることを増やして、社内でも社外でも相手の気持ちを考えて対応するということを積みかさねていきました。よく言えば共感力が高い、悪く言えば八方美人的な働き方を身に着けてきたように思います。自己啓発本を沢山読みましたが、中でもやたらとオグ・マンディーノさんの本を読んでいました。

いつの間にか企画のアイデアを出すとか企画書を作るとか、イベントを運営するとか、自分でもできるようになり、入社当初に電話口で叱られた外部の方からも、仕事内容を認めてもらえるようになりました。この方に薦められて須賀敦子さんの本を読むようになりました。

当時はまだ、若手女子社員が何か意見を出すと、生意気だと言われることも多く、悔しいこともたくさんあって、会社を出たとたんに号泣しながら駅まで歩くといったこともありました。

仕事のプレッシャーで初めての円形脱毛症にもなりました。ずっとショートカットにしていた髪を少し伸ばすようにしたのはこの時からです。

パソコンを使い始めてからは急激に視力が落ちて、眼鏡が必要になりました。大事な仕事相手の顔が見えなくて、挨拶しそびれたことを反省して、翌日すぐに眼鏡を買いに行きました。

会社に通いやすいところに借りたアパートでの初めての一人暮らし。そもそも何事にも構わない性格なので、自炊と言っても簡単なもの、シャワーだけの入浴、早出や残業も多く、入社5年目に発熱と関節の腫れと体のあちこちに炎症反応が出て入院、自己免疫疾患でした。

そこからは少しペースを落として、身体を壊さないように気をつけながら仕事をしました。

一度落ちた昇進試験に受かって管理職の入り口に立つまで、14年ほどかかってしまいましたが、当時の上司が、最後まで生意気な奴と思っていたとずっと後になって知りました。尊敬できる先輩や、仕事でなければ会うこともできないような立場の方々や、現場で仕事を回してくれるスタッフのおばさま方や、たくさんの出会いから成長したと思いましたし、日本に帰ってきて働いたのは正解だったと思っていました。

この間、会社の合気道部に入り2級に合格して茶帯を獲得、イタリア語をきちんと勉強しなおして実用イタリア語検定3級を取り、車とバイクの免許を取りました。本を年間100冊読むという目標を10年くらい達成し続け、映画も月に一度は映画館で観ました。趣味の手芸は続けつつ、写真という新しい趣味も見つけました。14年間をたった2000文字でまとめるなんて、どだい無理な話なのですが、興味のあること、やってみたいことがありすぎて、落ち着きのない20代30代でした。

仕事を通じて知り合った人と結婚して、たくさんの人からの祝福をうけ、イタリアに行っていなければ、たどっていなかった人生を思うにつけ「縁」というものの不思議さを感じます。

このころはまだ、頑張ったことに伴う自信もあり、やればやるだけの成果が出せると思っていたし、少なくともどうすればいいのかわからない状況ではなかったんですよね・・・

そして昇進に伴い異動になった次の職場での試練に続きます。

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