奨さんが泣いたこと。
10/23の有明のライブ。
奨さんは泣いた。いっぱい泣いた。
言葉が落とせないぐらいに泣いた。
私はずーっとどう受け止めていいか分からないまま、今日になった。
正直今もわからないけど。
奨さんは思ってることを言わない。
いっぱいいっぱい考えて、自分のためだったりメンバーのためだったり、JAMのためにアイドルの與那城奨が言いたいことを受け取りやすい形にして届けてくれる。
もらえるものが事実でそれ以上もなければそれ以下もなくて、それが全てって考えるようにしてる。
だから奨さんがそういうならそうで、言わないなら、知らないことだしもらってないから言及したりしないって決めてる。
三年間、そうやって奨さんがくれるアイドルの與那城奨と私は向き合ってきた。
正直、すごく守られてる感じがする。
奨さんの言葉にどうしようと、どう受け止めようと悩むことの方が少なくて、ただ真っ直ぐ「そう」言うように思ってていいんだよな、だって奨さんがそう言うんだもんなって思わせてくれる。
その形の信頼を途切れないように太くちぎれないようにくれ続けた三年ぐらいの時間。
私は本当に受け取るのが下手になった。
奨さんのその形の信頼に甘えていた自覚はあったし、そうしてくれることで知りたいことが、聞きたいことが100聞けなくても、ここまではJAMにくれるんだって形で納得してた。
ずっとそう。
アイドルの與那城奨に甘えてる。守ってくれるその距離感を彼は超えてもこないし、私も越えようとは思わない。
だからその距離感が曖昧になると凄く心がどうしようもなくなるぐらい揺れる。
見せてもいいと思う姿が緩むと、嬉しい反面、どう受け取ってどう受け止めて、どう感じようか、すごく迷う。
本当に見てしまっても良かったものなのか、すごくすごく迷ってしまう。
「泣きたくないけど泣くんだろうなぁ、いやだけどね」
奨さんがOTDの時に言ってた言葉。
涙腺が弱い君はきっとめちゃくちゃ我慢してることが多いんだろうな、って思ったりする。
瞳が潤んでるのをみて、この人は今泣きそうだと思うこともたくさんある。
嬉しいんかな、幸せなんかな、どうしようもなく心臓がぎゅーってなってるのかもしれない、どうしようもなく切ないのかもしれない。
泣いてるからって、だからって何で泣いてるのか私にはわからない。
わからないから、本当は奨さんの口で説明してほしいと思ってしまう。「嬉しいから泣いたんだよ」でも「凄く幸せで泣いたんだよ」でも。
そう思ってしまうぐらいに私はアイドル與那城奨に甘えてる。
10/23の有明のライブ。
奨さんは泣いた。
ぼろぼろ泣いて、マイクなんて口元に持ってけなくて、立ってもられなくて、膝をなんとか抱えて、泣いてた。
私も前が歪んで見えないぐらい泣いた。まっすぐ、ちゃんと見てちゃんと受け取ってちゃんと受け止めなきゃって思ってたけど、見えないぐらい涙が溢れた。
あの時、奨さんはなにを思って泣いたんだろう。
どう思って、なにが琴線に触れて、涙が溢れたんだろう。
それがわからなくて、ずっと毎日、どうやってあの時の奨さんの涙に向き合うか迷っている。
嬉しかった。正解だと思う。聞いてないから知らないけど。
幸せだった。正解だと思う。聞いてないからわからないけど。
リーダーとしてやってきて云々。正解じゃないかな、口にしないからわからないけど。
わからないの。どうしたって奨さんは全部を口にはしないし、分かるわけないの。
私はどうあの涙を受け取ろうか。
嬉しくて幸せで、いっぱいいろんなこと思い出して、そのきっかけがサプライズ。
きっと、そうなんだろう。
だけど、君との距離感で「きっとそうなんだろう」は、避けてきた。
そんな「きっとそうなんだろう」で行動して奨さんの夢の道の邪魔をしたくなかったから。
私が泣いた理由はわかる。
私はあなたが大好きだから、あなたが愛されてる世界が本当に本当に大好きだから、世界があなたへの愛で溢れていると泣いてしまう。
嬉しいの。すっごい嬉しいんだ。嬉しくて心臓が潰れてしまいそうなぐらいぎゅぅってして、苦しくてどうしようもなくて涙が出る。
貴方が貴方の形で愛した世界が、いろんな形で貴方に愛を返して、それがいつか貴方に届いたらいいなと思って。
だから、あの時の奨さんやJO1への愛で溢れた時間と空間と、それが彼に届いたんだろうかと考えたら涙が出た。
あれは、愛が届いた時の奨さんの姿なんだろうか。
言葉が落とせないぐらいに泣くのは。
まっすぐ立っていられないぐらいに泣くのは。
いくら拭いてもいくら背を向けても流れ続けてく涙は。
愛を受け止めた奨さんの姿なんだろうか。
私にはまだわからない。
いっぱいいっぱい考えてみて、今日までずっと考えて、やっぱり答えはでなかった。
でもあれは最高だった。
そう奨さんがメールで言ってたから。
ツアーが無事に終わって誕生日も祝ってもらったこと。
その最高になにが含まれてるのかなんかわからない。
話す気のない人に、聞く気もない。
受け止めるのに時間がかかるってライブ終わりに思った。
どう受け取ろうか、迷って、その間君への筆も動かないまま今日まで来ちゃった。
最高だったって奨さんが言うなら、それ以上でもそれ以下でもない。
私はそうやってまたいつもと同じように向き合えばいいか、と今日やっと少しだけ終着点が見えた。
考えなきゃって、守られてきた分、ちゃんと受け止めなきゃって思って考えてたけど、考えれば考えるほどわからなかった。
甘えっぱなしで嫌だとも思ったけど、それでもやっぱり考えてもわからないことに勝手に答えをつけられなかった。
奨さん、下手でごめんね。受け取るの。
時間かかりすぎてごめんね。
今年はずっと、奨さんっていうアイドルにどうやって向き合おうか、いっぱい考え直すことあった。
でも、奨さんの側で応援しようってことだけは、変わらんやったけん。これからもこうして応援してると思う。
君を好きな限り。
それが続けばいいとも思う。君が好きだということが。
多分これから先いっぱいこんなことあると思う。
その度にわたしは立ち止まって、あれこれ考える。
そんで多分、奨さんが言った言葉を拾って、これだけは信じていいとしてしまうんだ。
こうかもしれない、そうかもしれないっていうのは簡単だけど、本当かどうか見極めて考えるのは難しい。
奨さんのことを考えることはやめない。だけど絶対君のことを決めつけたりはしたくない。全ての余地を残して向き合いたい。
いつだって言葉をくれる言葉足らずの奨さん。
私から見た奨さんはそんな人。
必要な言葉以上はくれない。
でもそれ以上はいらないって奨さんが考えたならそれでいい。
言葉なくても豊かな感情を届けてくれる奨さん。
私からみた奨さんはそんな人。
その感情に触れて、どう思ってるんだろうって思い悩むことも多いけど。
奨さんがそれでいいと考えたならそれがいい。
またしばらくはこれでいいのか悩むと思うけど、本当にいいのかなって思うと思うけど。
でも、また君に手紙を書こうかと思う。
いまならちゃんと書ける。
君がくれた分だけ、それ以上でもそれ以下でもないくれた分だけ、私が受け取った分だけ。
あとほんの少し、受け取った分よりたくさんの好き。
奨さんが泣いたこと。
私は嬉しくて幸せで苦しくて切なくて幸せだった。
答えないし分かんないし難しい。
けど、最高だったのは奨さんも私も一緒。
最高だったね、あの日もそれまでのツアーの日々もずっと。ずっと。
18.Dez.22