2人のヒーローの話。
「この世界を自分のものにしたくて絵を描いてる」っていう青磁の夢は私の夢と一緒だった。
私は茜の気持ちがわかるようでわからなかった。
理解はできるけど、共感ができなかったが正しいかも。
正直、私は「言えばいいやん」って思う側だったから、そんなに苦しいなら言えばいいじゃんと思ってしまった。
青磁の言う通り、悲劇のヒロインになるなら、打ち勝つヒーローになった方が楽しい。
私はそう思ってるから、最初ずっと茜にイライラした。
我慢して自分を傷つけて頑張るほどの、小さな世界なんか捨てたらいいのに、と思った。
青磁のほうが共感できるところが多かった。
けど、だから青磁のこと羨ましくなった。
青磁はこの世界を自分のものにしたくて、絵を描いている。
私は昔、カメラマンになりたかった。
ニノの大奥を見た時になりたいと思った、漠然とだった。
濁る水の中を泳ぐ金魚の水槽越しにニノが映るシーン。綺麗だった。すごく好きなカメラワークだった。
その映像はカメラマンのものだと思った。あのレンズを覗いて撮った、その人のものだと。
私もそうなれば、こんな綺麗なシーンを自分のものにできると思った。それで大学まで行った。
私は青磁のように才能はなかった。続けることはできたけど、これで生きていくのは私には無理だと思った。
青磁は才能を努力をもってして、伸ばしていく。
青磁の言うことに共感するからこそ、青磁はカッコよくて自分は惨めでだっせーって思った。
だから青磁が「自分のものにしたくて描いてる」って言った時に涙が出た。
それを好きだと口にできるの、いいなと思った。
それを認められているのも、いいなと思った。
夢を掴むために諦めない努力をし続ける人は、夢を諦めた自分からしたら眩しすぎて辛かった。
なんかそうしてたら茜の気持ちがわかる気がしてきた。
「これでいい」と言い聞かせて生きるのが楽なのが。
いつもの私だなーって思った。彼女はもがいていたけど。
2人が遊園地に向かうシーン。
見上げた木々は青々としていて枯れていた。
有限の時間を見せられたみたいで苦しいカットだなと思った。
時間は有限だと、一度だけ青磁が言う。
映画の時が進むだけで、左右で木々が揺れるだけでそれがすごく描かれていて、「今何してるんだろう」ってぽつんと思った。
遊園地で空を見るシーン。
2人が並ぶカットは茜側に茜色、青磁に青色が広がってたけど、それぞれのアップは一番近い色に茜には青磁色の空、青磁は茜色の空が落ちてた。たまたまかも。
それでもこの2人にはそれぞれがこの空みたいに、世界を色づかせる彩りとして側にいるんだと思ったら羨ましいなぁと思った。
真っ暗な廊下をみつめる青磁のシーン。
彼の光はずっと茜だったから、わざとハイライトもなくして彼女がハイライトになるようになってた。
あぁ、いいな。と思った。素直に。
恋でも夢でも、そういうものじゃなかったとしても。
真っ直ぐに向かって行けるのは、たいてい続けられることじゃない。
その時に誰かが信じられないぐらいのパワーの源になるのは、当たり前じゃない。
だからいいなと思った。
青磁も茜も。
夢を掴もうと邁進するのも。自分を変えようともがくのも強くないとやりきれない。2人は強いなと思った。
最後に、2人は夢を掴んで、自分を変えた。
すごくかっこよかった。確かにそれはお互いにとってヒーローだったんだと思う。
ヒーローがヒーローに再会したあの時間、すごく綺麗でこうなれたらいいのにと思った。
茜に思ってた、そんな小さな世界捨てたらいいのに、は多分ずっと自分ができなかったことかも。
映画はすごい。
わたしは映画を見てこの世界に憧れて、映画を見てこの世界に飛び込もうとして、諦めて、今日、映画を見て決心が一つついた。
小さな世界を手放す決心。
私がいつも人生を変えるときにパワーになるのは映画なんだけど、まさかそれが「夜きみ」になるなんてちょっとも思ってなかった。
思いつきで見に行ったのも、特段悪くないと思った。今、出会えてよかったと思う。
次にいつか、今日もぎられたこの映画の半券を見た時に、今日よりも2人を羨ましいと思わなかったら、いいな。そうなれていたらいい。
そんなふうに思った、私が「夜が明けたら、いちばんに君に会いに行く」を見た日。