文才のある人

-広辞苑-
ぶんさい【文才】
文章を巧みに作る才能。文筆の才能。

さい‐のう【才能】
才知と能力。ある個人の一定の素質、または訓練によって得られた能力。

私は、文才のある人に強い憧れを抱いている。私が思う"文才のある人"は文章を書く才能だけではなく、きっと努力をしている。担任の先生が「アウトプットするにはその何倍もインプットしなきゃいけないからね〜」と言っていたからだ。才能と努力でできたものを"才能だよね"とまとめられてしまうのは誰もが嫌である。これからは、「私は文章が綺麗な人に憧れる。その人は、文章を作ることに対し努力をしているからだ」と言うことにする。

私がnoteを始めようと思ったのは、友達と知り合いの間のような関係の、同学年の女の子のnoteを見て、自己表現の手段はこんなところにもあるのか、この人は本当に文章が綺麗だ、と感嘆したからであり、私は彼女の文章に憧れている。私は基本的に人に興味が無く、自分と他人を較べてどちらかを評価したことなんて全くと言っていいほどないが、文章が綺麗な人に対しては異常なほど憧れを抱き、綺麗な文章に触れる度に自分もこうなりたい、私はまだまだだと思うのである。

ここで、私がどんな人か紹介したい。
私には、とても色々な面があると感じている。曲を書き、それを世に出し、歌い、また別の面では一人の女子高生であり、とある理系男子大学生の彼女である。私にはファッションセンスこそないが、着ていて気分が上がる服を着ている。いいなと思う服の系統はバラバラだから、色んな服を着る。でもセンスは本当にない。(私に似合う服を教えてくれて、毎日のコーディネートを決めてくれる人がいたら良いんだけどな)。
また、学校では何も考えてないウェイみたいな感じに思われてると勝手に思っている(自慢ではなく自虐です。所謂"ウェイ"というものを好きではないので)。私の根っこは色んなことを考えてますよ、っていうのをnoteに書いていこうと思う。別にそれが目的ではないが。

このように、私には色々な面があり、そのどれもが自分である。名前が違っても、言葉遣いが違っても、喋っていても歌っていても、そのどれもが"私"である。

というわけです。よろしくお願いします。
歌を歌う時も同じだが、「誰か一人でも聴いてくれる(読んでくれる)人がいるのであれば、その人のために歌い(書き)続けよう」と常に思っています。
もし誰も読まなかったら、それは、どうしよう。静かに消しておきます。

取り敢えず今の私が思うことは、綺麗な文章を描きたい。綺麗な歌詞を描きたい。

終。

p.s.私が憧れる文章を書く同学年の女の子へ
無断でnote始めてごめんなさい。悪い言い方すると、パクリました。勝手ですが、仲良くなりたいです。
今ふと思ったんだけど、あの某有名な靴屋さんも同じ苗字なんだね。格好良い。