遺書に代えて
3月8日、些細なことで溜まってた感情が溢れ、ブロン半瓶とロラゼパム約1シートを口に含んだ。
死にかける間際に気づいたのはスマホに入った遺書が開かれることは無いかもしれないこと。
だから少しでもみつけやすくなるようにと私の遺書をここに残しておこうと思う。
中学3年生、死に損ねたあの日から人生のゴールを18歳に決めた。
親が相続放棄できる年齢。
たくさんの愛をもらって、何も返せなかった私の親不孝な親孝行。
そんな18歳が近づく度に私は本当に死にたいのか不安になる。
でもきっとその選択に間違いは無い。
死ねば終わる。
この思考も、
大嫌いな顔も、
すぐに泣いちゃう弱い性格も、
努力できない腐った性根も、
肉体を捨てて魂だけになればきっと。
幾度と死にたい時を迎え、その度に書いた遺書は取るに足らないことばかりだった。
18年しか生きてない人間が遺すものは原稿用紙1行にだってみたない。
それならば遺書に代えて、私の思考を遺そうと思う。
今を生きながら、思考は未来にある人生だった。
一般的に言う「考えすぎ」という人種。
程よく生きるには、悲観的に考え楽観的に行動することが対人関係の上でも精神衛生の上でも欠かせないことだと思う。
けれど私はそうはなれなかった。
悲観的に考え、悲観的に行動する。もしくは行動できない人間。
自分の思考が分かったところで認知を変える方法は諦めること、受け入れること、共存すること以外に存在しないし、薬に頼っても結局自分の本質は変わらない。
地続きな自分でしかない。
高校生になって自分の世界を広げたい。
そんなことを言って入った高校。
自分の中に秘めた志望動機は結局当時のカウンセラーにしか話せなかった。
誰が親に「授業中分からないことがあると涙が出る」「人前で給食食べるのが苦しい」「課題を両立してできない」って言えただろう。
言えたら私は幸せになれた?
病気って言われるのがオチだと思うけどね。
病気なんだけど、それを言っていいのは私だけ。
デブ自虐をしていいのは本人だけなのとおなじ。
それでも有言実行様々なことに挑戦した。
世界は広がって、私の居場所は狭まった。
私には人と仲良くなれる、程よい距離感が分からなければ、言ってはいけないことがわからない。
喋れば何言ってるかわかんないと言われて、黙ると存在感がないと笑われる。
相手に尽くすといつのまにか「それをやって当然」にされる。
ケーキを売れば、そのケーキで人が死なないか、いつもより変だったのではないかと思う。
挙動不審な動きをしているように感じる。
聞いたことを直ぐに忘れる。
片付けができない。
擬態しても仲良くなるほどとか、1年経てばとか、しばらくすれば崩れていった。
出来ないことだらけでどんどん将来が塗りつぶされていく。
薬で治せる。完治しなくても軽くなる。
分かってはいるけど1度の失敗した経験がまたあの状態になったらと私を止める。
私の世界は真っ黒だ。
他人の干渉した世界はこんなにも白いのに。
目の前に自殺しようとしてる人がいれば私だってこう言う。
「まだ若いからいつか明るい日が来る、頑張ろうよ」って。
でもそれは他人だから言えるのであって、 私は私を殺すことでしか私を救えない。
私の認知を通した世界の辛さをわかってくれるのは私だけだ。
伝え聞いて分かってくれて寄り添ってくれる人のことは大好きだけど、それでもそれはその人の認知を通した私だったものが詰んだ経験と思考だ。
生きていればきっとなんて、あまりにも無責任だ。
自分のつらさは自分で責任を持って供養してあげなくちゃ。
その過程で誰かに迷惑をかけても、それで何が起きてもそれはその人の選択の上での運命だ。
申し訳は無いけれど、私の選択が間違っていたとは言いたくない。
世界で私を愛してくれた全てへの懺悔。
たくさんの愛をもらって一片のありがとうも返せない人生でした。
本当にごめんなさい。