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ブルーアーカイブ最終編「あまねく奇跡の始発点」というタイトルの意味に関する洞察

自分の考えを書きます。

あまねく奇跡の始発点のタイトルバックに、連邦生徒会長の後ろ姿がうつっているのがずっと気になっていたんですよ。
だって連邦生徒会長、全く直接出てきてないですよね。

でも、タイトルバックにいる以上、テーマの一番深い部分に彼女はいるはずだと考えました。

最初に考えたのは、奇跡は連邦生徒会長が起こしているというパターン。これはあまりにもしょうもないので、一瞬で棄却しました。

でも、その考えが手がかりになりました。

そういえば、連邦生徒会長が言っていた、最終編の重要なテーマがあったな、と。

みなさん、覚えておいでですよね?

「理解できない他人(もの)を通じて、己(たがい)の理解を得ること」

ブルーアーカイブのストーリーには、さまざまな奇跡がありました。
奇跡があったから、先生の物語は分岐した。
そして、その奇跡の起きるところには、必ずと言っていいほど、このテーマがありました。

そして、最終編。
最も「理解できない」存在である、「異なる時間軸を生きた自分=プレナパテス」と戦うことになるわけです。
しかし、私たちプレイヤーは、プレナパテスを通じて、私たちがブルーアーカイブという物語で、何をしてきたのか「理解を得ること」ができました。

理解できない他人(もの)を通じて、己(たがい)の理解を得ること。
つまり、これこそが、
「あまねく奇跡の始発点」
だったのではないでしょうか?

アロナとプテナの最後の奇跡はまさに「己(たがい)の理解」によって、引き起こされていたように思えます。それこそが証左ではないでしょうか。

私はここに一つの答えを得たので、考察をここまでとします。
それでは。

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