映画 グランツーリスモが面白すぎた
まさか任天堂がマリオを映画化している横で、こんなに素晴らしいゲームの映画化が為されていたなんて…
若い頃、私はどちらかといえば任天堂派というより、プレステ派だった
それはもちろんプラットフォームで発売されていたゲームの好みがきっかけだったりするんだけど、何年も経つうち、もう少し大きな意味が出てきていた
当時のSCEはKutaragi-san率いるチームで、彼らはPS9というコンセプトムービーを制作していた。それはつまり、何世代も先の未来のPlayStationで、まるで仮想現実のようなゲーミングが訪れるであろう未来を彼らが目指すという宣言だった。
そのビジョンに当時の私は心酔した。彼らはゲームを単なる娯楽というより、テクノロジーによる人類の革新なのだと定義しているように見えたからだ。
いまやそうした企業のイメージ戦略を、純粋無垢なまま信用するほどピュアでは無くなってしまったが、それでも私はPlayStationというプラットフォームの描いていたビジョン…あえて言い換えるならば、彼らの描く夢というものを、好ましく思っている。
今回のグランツーリスモは、まさに、当時の彼らの夢を下地にしたような映画だった。
レースゲームのプレイヤーはトップレーサーになれるのか?
いまだ誰も走ったことのないラインで。誰も果たせないような苦難を乗り越えて。
この映画は実話をベースにしているようだが、
仮にそうではなくても名作だ。
これほど名作だと、実話という修飾はなんの加点にも減点にもならない。あくまでappendixに過ぎない。
レースの緊張感がすごくて、結果はなんとなくわかるのに、祈るような気持ちで見させられた。特に最後のルマンのレースは。
また、あまりにも丁寧で伏線の練り込まれた脈本、本当に無駄がない。
いい雰囲気のガールフレンド→付き合う
父親との不仲→和解
ジャックのルマンでの事故の引退→ヤンの事故からの再起
シャンパンは表彰台に乗ったとき→ファイナルシーンでのシャンパン
etc
こう書くとめちゃくちゃシンプルだなw
いい脚本はシンプルなものを秀逸な構成でまとめるだけでいいって教えてくれる。
前半に人間ドラマの伏線が大量に撒かれ、後半にかけて一つ一つ全ての伏線が綺麗に回収される。これは実話を下地にしていても、その多くが創作なのだと思う。
だが、それでいい。
なにせ、PlayStationは人類の革新という夢を追い求めるテクノロジーなのだから。
文句なしに満点!
★★★★★
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