人生の棚卸3:浪人生活

浪人生活(薬科大学合格に向けて)

現役では薬科大学に落ちたため、再度受験をするべく予備校へと通う。

中高女子校だった私に、ここで人生初の彼氏ができて初めて、家族以上に心を開いて全てをさらけ出せる存在に出会えた。
自分以外の人と時間や物事を共有する事がこんなに楽しいのかと初めて思えた。
私の中で、一人で絵を描く喜びより、好きな人と一緒に過ごす時間の価値が大きくなった瞬間だった。

後に6年ほど付き合う事になるが、相手にきちんと向き合い、問題があって喧嘩をしても前向きに話し合って打開策を見つけ出せば、仲直りできて、また楽しい時間が過ごせることを学んだ。

その人とは別れてしまったが、「なんでも一緒にやろうとしてくれる人」が自分に合っているという事が、はっきりとわかった事がこの恋愛の大きな学びだった。(今思えば、それは父親の性格と似ている)


薬科大学時代

1年間の浪人の末、奇跡的に薬科大学に合格した。

しかし勉強が嫌で、どんよりとした1年をすごした。
友達もできて楽しい時間もあったけれど、自分の居場所はここではないような違和感をずっと感じていた。

浪人をする時に、「薬科大学に受かったら、美大に行ってもいいよ」と両親に言われていた。たぶん、両親は一度薬科大学に入ってしまえば資格をとって卒業するだろうと思っていたのだと思う。両親は心配性なので、私に安定した人生を歩んでもらいたいという願いがあったのだろうと、今なら痛いほど理解できる。でも、やっぱり興味がない事をやらなければいけないのは辛かった。

1年後、私は薬科大学を留年してしまい、もう美大に行くしかないと思った。

大学を辞めて美大に行くと決めた時、家族や同級生や先輩に止められたりもしたが、絶対に辞めた方が幸せになれるという確信があって、不安もなくすんなり辞めた。


第2の浪人生活(美術大学合格にむけて)

美大予備校は、とても厳しいスパルタ塾だった

中高時代は毎年、賞を受賞していたため、私の絵は上手な方だと思っていた。
しかし予備校に通い、もっともっとレベルの高い人に出会い、井の中の蛙だったと、ものすごい劣等感を感じた。

ただ、なんとなく1年後にどこかの美大は受かるだろうという確信があった。理由はわからないけど、なんとなくイメージができたのだ。

そして、希望の武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科にこれまた奇跡的に合格できた。


次は、美術大学時代編です。

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