おばあちゃんが死んだ日のこと

2010年7月末のこと。ノンナから朝電話がかかってきた。三島に住んでいる96歳のおばあちゃん、入院してからかなり容態が悪くって、もうそろそろかもしれない、という電話だった。パパにその話をすると、”すぐいっておばあちゃんに会って来なよ。っていうか、行かなきゃダメだ。こっちのことは大丈夫だから、とにかく行けよ”って。だからママは、その日パパとなんか予定があったんだけど、お言葉に甘えてそのまま家を飛び出して、新幹線で三島に向かったの。

病室に行くと、おばあちゃんは眠ってた。痛み止めのモルヒネを打ち始めると、意識が朦朧としてもうお話することもできなくなるらしい。ノンナと洋子ちゃん(私のオバ)に、”私がみてるからさ、一度家に帰ってシャワーでも浴びてきたら?”と提案した。2人は、おばあちゃんが入院してからずっと、病院に缶詰だったから。

ママは寝ているおばあちゃんの横で、おばあちゃんに昔の思い出話を話していた気がする。ママが社会人になって2年目のとき、仕事で東京と滋賀を行ったり来たりする中で、何度も三島で途中下車して、おばあちゃん家に遊びにいっていた。おばあちゃんはベットで寝たきりだったけれど、私が行くたびに、”あれ、どこのべっぴんさんかね”と嬉しそうにしてくれて、私の昔の写真を見ては、可愛かったよ〜と目を細めてくれていた。90に近づくにつれて、おばあちゃんの記憶は曖昧になってきて、ママによくノンナの話をしていた。

”うちにはね、まさこっていう娘がいてね。この子は色々苦労してるんだけど、子供がよくてね。子供達がみんないい子なんだよ”って。
それ、ママとアンクルのり(私の弟)とあーちゃん(私の妹)のことなんだよね(笑)。


大人になってからのことだけじゃなくて、子供の頃には長期休みに必ず三島に長期滞在していたこと、三島のお祭りが楽しかったこと、冬に見る富士山が好きだったこと、なんかそんな話を、おばあちゃんの隣でずっと話してた。
そしたら急にね、おばあちゃんパッと目を開けて、

”たまごかけご飯が食べたい!”って言ったの!もうびっくり。
”あとウナギも”って。なんじゃそら(笑)

ママのおばあちゃんは大正時代に北海道で生まれ、奉公に出たりして苦労して育った人。三島のおじいちゃんと結婚して、農家として生きて、太平洋戦争も経済高度成長時代も経験する中で、6人の子供を育てた。苦労も多かったと思うけど、堅実に堅実に人生を積み上げて、周りの人に優しく尽くしてきた人だった。おばあちゃんは会うたびに、私の手を両手で包んで優しくさすりながら、"若い子の手はいいね。綺麗な手だね。おばあちゃんは百姓してたからこんな手だけど、あんたの手は本当に綺麗だね"って、いつもそう言ってくれてたっけ。そんなおばあちゃんだから、たまごかけご飯はきっとご馳走だったんだと思う。終戦直後は食べるものが本当になくて、GHQのマッカーサーですら、あらゆる手を尽くしてやっと見つけた1個のたまご、しか食べれなかったんだから。だからきっと、おばあちゃんの中では、”たまごかけご飯”は苦しかった時代を生き抜くために必要だったご馳走で、”ウナギ”は頑張った自分に対するご褒美、だったんじゃないかな。

夕方、ノンナと洋子ちゃんが病院に戻ってきて、おばあちゃんの容態も落ち着いているから、ということで、ママはパパが待つ東京へ戻りました。品川で新幹線を降りて、山手線で目黒駅まで行くと、パパが目黒駅まで迎えにきてくれていました。2人で権之助坂をくだって、目黒川沿いに中目黒に向かって歩いていたその時でした。おばあちゃんが息を引き取ったと、ノンナから電話がありました。電話を切った直後から、ママはもう、泣いて泣いて、泣き崩れて。そんなママをパパは一生懸命支えてくれました。泣きながらポツポツと目黒川沿いを歩きながら、パパはこんな風に声をかけてくれました。

”俺はさ、ばーちゃん死んだとき何もできなかったからさ。とんさん、最後に会えてよかったじゃん。おばあちゃんも喜んでいるよ”って。

おばあちゃんは、ママが病院を出たあと、一度も意識が戻ることなく、眠るようにいったそうです。だから、おばあちゃんが最後に話したのは、”たまごかけご飯食べたい!”と、”ウナギも!”なんだよね。東京に戻る前、病室に戻ってきたノンナと洋子ちゃんに、おばあちゃん、こんなこと言ってたよ、なんかおかしいね、ってみんなで笑っていたんだけれど、まさかそれが、おばあちゃんのこの世での最後の言葉になるとは。
この日、パパがとにかく早く行け!って言ってくれなかったら、ママはあんなにお世話になったおばあちゃんにありがとうも言えないままだった。パパのおかげで、寝ているおばあちゃんに思い出話を語って、ありがとう、大好きだよって伝えることができた。パパのおかげで、おばあちゃんの最後の言葉を聞くことができた。すべてはパパのおかげだった。

出会ってからまだほんの少ししか時を共有していなかったけれど、私の気持ちに寄り添ってくれる人で、家族のことを大事に想う人なんだっていうのがわかってすごく嬉しかった。その日の夜、一緒に食べたご飯の味は覚えていないけど、何をしながらも涙を流しているママの隣で、静かに話を聞きながら、身も心も優しく包んでくれたパパの温かさははっきり覚えている。

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