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最悪の状況での、最高の出会い

ママの過去については、本当はかなりオブラートに包んで、ちょっと美化して伝えたいところなんだけど、そうするとアンフェアかなとも思うので、手短に話すね。2007年、乳がんの手術を受けた後、滋賀の師匠(私の父)とノンナ(私の母)の家に戻って、少しオムロンで働いたあと、バンクーバーに行って、遊んで過ごして帰国。職なし、彼氏なし、で迎えた34歳の誕生日、ママは師匠を大げんかして、京都駅から夜行バスにのって東京に家出しました。いろいろ突っ込みどころはあるけれど、そこはまた、別の機会に話すから。今は静かに受け流してほしい。
東京にいる友人の家に転がり込んで、彼女のビジネスを手伝って過ごしていました。家なし、職なし、彼氏なし。もうこれ以上ないってくらい悲惨なアラサーだよね。我ながら笑えるわ。
そんなある日のことです。お友達に誘われて、東京タワーの事務所で飲むことになって、ママはあまり体調がよくなかったんだけど、気晴らしにと思ってそこにいったの。ママのお友達と、そのお友達がいて、買い出しに行ったりして、飲み会の準備を。
”他にだれかくるの?”と聞くと、
”ももちゃん”
っていうから、ママはてっきり女の子がくると思ったのね。しかも可愛い子。大阪にいるママのお友達のももちゃんは、とっても美人さんだから、ももちゃんって名前から可愛い子を想像したのよね。
”ももちゃんって何してる人?”
って聞くと、”アプリとか作る会社をやってる人”っていうから、
へぇ〜、ももちゃんってすごいなぁ〜、女の子なのに、アプリ作るだけじゃなく、そういう会社もやってるんだぁ〜。って、会う前からどんな人か気になってしょうがなかったの。

宴会がはじまってしばらくすると、事務所のドアをノックする音が聞こえて。ドアをあけたら、色黒で、頭くるくるパーマで、変な色のメガネしてて、ぽっちゃりした男の人が”ども〜”って入ってきたの。そう、それがパパ。

”なんじゃこの人”っていうのが第一印象。そしたらお友達が、”おお、ももちゃん”って言うではないか!え?ももちゃん?マジで?!勝手に可愛い女の子を想像していたからさ、ママはものすごくショックだったのよ。でも初めて会う人に勝手なイメージつけて、それと違うからショックだとか、失礼な話よね(笑)

気を取り直して、その後は4人で楽しく飲みました。その時に、音楽と山の話で盛り上がったの。まず、音楽の話でいくと、映画音楽。パパもママも映画が大好きだったから、ジョンウィリアムズがいかに素晴らしいか、っていうところからはじまって、スターウォーズのテーマ、ジェラシックパークのテーマ、インディジョーンズ、ジョーズ、スーパーマン、彼の生み出した数々の映画音楽に関して、異様に話が盛り上がりました。他の二人はドン引きしてたけどね。ほら、パパもママもさ、変なところマニアッックでしょ。だから普通、自分の好きなことを熱く語っても、周りがしらけてしまうだけなのよ。でも不思議と、パパとはしっくりと会話が進んだんだよね。ほんと、びっくりするくらいに。
Boston Pops Orchestraというのがあって、ママはその人たちの演奏が聞きたいって熱弁ふるってました。もし私に力があるのなら、日本に呼んで公演してほしいと。パパもその意見には賛成で、映画音楽だけど、生演奏で聞きたいよなぁ、と。

登山の話でも盛り上がったの。ママは、オムロンに勤めていた頃に、登山仲間に恵まれて、滋賀県の山をいくつか登ったことがあったの。出勤前に三上山に登って、山頂で朝食食べて、下山して、登山の格好のまま朝礼に出たこともあった。出勤前に朝ランとか、朝筋トレとかはあるかもしれないけど、朝登山ってなかなかないよね。でもそんな話も、パパは”おもしろい!”って笑いながら聞いてくれたよ。
ママはその時、いつか信州を目指したい、って思ってたんだけど、なんとパパは、その頃すでに日本トレッキング協会に所属していて、いろんな山を制覇してたんだよね。そんなパパの話を聞くのはとても楽しくて、登山するってだけじゃなく、装備の話とか、山頂で飲むビールが美味しいとか、下山した後の温泉サイコーとか、そんな話をたくさんたくさんしたような記憶があります。最後の方はさ、いい感じに酔いが回って覚えてないんだけどね。

一緒にいたお友達は、もうそんなに話あうなら付き合っちゃえば?!って背中を押してくれて、酔った勢いもあって、なんとなくパパとママはお付き合いをはじめることになりました。

2010年7月のことです。

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