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理由

それでは、なぜ、ワタクシという肉体が

このようなワタクシを構成して存在させているか、

その理由を記してみよう

ワタクシというものは、この肉体に

いて、いないものである、という大前提がある。

いて、いない。

あるが、ない。

ワタクシを他が外部知覚すると、あるであるだろう。

しかし、そこに見ているのは、ワタクシの肉体のみであって、

ワタクシというワタクシが感じているワタクシを外部知覚することは不可能である。

ワタクシはワタクシを感知することすら難しいと思っているのに、

他が外部知覚からそれを捉えることはできない。

では、往々にして内部知覚を使って他の内部知覚を知ろうと外部知覚はその働きをはじめる。

しかし、これは、いつも不可侵の破綻を促している。

これまでは、そこからの再構築がゆるされ、その再構築こそが「素晴らしきもの」というような定義付けがなされてきた。

そう、問題はここである。

これからは、みなが持つ、ワタクシという感知している感覚に、不可侵の効力がさらに強まることが求められている。

話をもとに戻そう。

ワタクシの肉体には、ワタクシがいて、いないのだが、

ワタクシの中にも、好み、というものがある。

それは感情と呼ばれるセンサーが天秤の如く常に働き

ワタクシの調和を保ち続けている。

これが不調和になるときがもちろんある。

不調和とは、一時的にバランスが整っていないことをいう。

例えば、好み全般を、飛んでいくシャボン玉にしよう。

逆に、嫌悪全般を、腐敗した黒い重金属にしよう。

ワタクシという肉体に、シャボン玉がはいる。
シャボン玉は、軽いので上へ上へ抜けていこうとする。そして、儚く脆いので、すぐに消え失せる。

ワタクシという肉体に、重金属がはいる。
重金属は、重いので下へ下へ堕ちていこうとする。
そして、醜く固陋なので、いつまでも寄生する。

不調和がうまれる原因として、シャボン玉ばかりか、重金属ばかりか。ということ。

みながみな、ワタクシという中に、シャボン玉と重金属が存在している。消滅することはまず、すくない。

調和とは、シャボン玉の比率と重金属の比率が、まったく同じ。ということである。

もうすこし、補足するならば、シャボン玉と重金属は、実は、同じものである。重金属はシャボン玉へも変わることができ、シャボン玉は重金属にも簡単に変化する。

つまり、なにをシャボン玉とし、なにを重金属にするかは、個々のワタクシたちがそれぞれに定めているだけにすぎない。

ワタクシが、なぜ、使い回されているようなフレーズを嫌うかというと、使い回されているフレーズにすら、このシャボン玉と重金属を、個々のワタクシたちが外部知覚しはじめると、その個々のワタクシたちの内部知覚に侵入を開始した際に、天秤の働きが発動してしまうからである。

ゆえに。

ワタクシのワタクシは、重金属のシャボン玉変換が間に合わなくなったり、重金属の比率が圧倒的に多くなると、不調和が引き起こされ、外部出力をせざるを得ない。

その外部出力されたものを、外部知覚した個々のワタクシたちは、また天秤の上にのせはじめるであろう。

天秤は生き抜くことで、得てきた

ニンゲンの

スバラシイ機能だな。

このスバラシイ機能の崩壊を願うこともまた、天秤の発動によるものでもある。

シャボン玉も重金属もその不可侵を守りたまえ。

不可侵に忠実であれ。

そして、

そもそも、

シャボン玉も

重金属も

存在していないと

そう

なること

これが

ハジマリ。

いつもありがとうございます(о´∀`о)💕これからもよろしくお願いします🌈✨🙏