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育休復帰 1年半経過

あれよあれよと季節は秋に。
「復帰」という言葉を使うのをちょっと迷うほど、仕事に戻って月日が移ろった。

最近の娘

2歳半になり、話す言葉も一丁前。
自己主張が強くなって、こちらの思うようにことが進まないことも増えた。それでも健康で、明るく笑顔でいてくれることに感謝だし、成長が嬉しいのも事実。大きな変化としては、休日昼寝をしなくなった。保育園ではちゃんと寝ているようだが、家で寝かしつけても寝なくなった。
今日はワンオペなので、どうせ寝ないと思って昼食後2人でスーパーに行ってお茶でもしようと思って出かけたところ、車の揺れで夢の中へ…。

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と、ここまで書いてまた季節が1ヶ月進んでしまった。まぁ、いいか。笑

娘が休日に昼寝をしなくなってから、今までと違う休みの過ごし方を色々と試してみた。
昼食後、車に乗れば寝ることがわかったのでそれを利用しつつ、休日は就寝時刻が多少遅くなるパターンも楽しむことにした。
外で夕飯を食べて温泉に入ってから帰宅する、なんてこともできるようになって、楽しみ方が増えたことが嬉しい。

仕事のこと

7月に異動して以来、自分の裁量が増えてかなり楽に、そして楽しくなった。
担当者が自分だけなので大抵のことは自分で決めていいのに、困ったら上司が相談に乗ってくれる。
業務上ではフリーランスのような自由さがあるけど、会社に守られているという、贅沢この上ない状況だ。

「あー、やっちゃったも…」と不安に駆られたこともあったが、勝手な取り越し苦労で何の問題もなかった。
今のところ仕事は本当に安定している。

・任せてもらえる
・スケジュールを自分で決められる
・無理がない
・やりたいと思うことができる

これで会社へのエンゲージメントは爆上がりした。もともと会社が好きだったとは思うけど、この恵まれた環境に圧倒的に感謝が深くなって、貢献意欲も湧いてくる。

うまくまとめられないけど、本来はこれくらい良い気分で働けるのがあるべき社会人と組織の姿なのではないだろうか。
私は高校まではゴリゴリの運動部だったから、我慢してなんぼみたいな考え癖があった。
でも仕事はそうじゃない。時には我慢も必要だろうけれど、得意なことやスキルを発揮して、その能力の対価としてお給料をもらうのだ。
社会人になりたてで何が得意かわからなかった私は、「我慢強く、会社に従順な社員」だけをウリにしていた。しかし結局、心を病んでしまい長い休職期間を経験した。頑張りすぎたのだ。

だからこそ、高すぎる理想かもしれないけれど、辛いことや嫌なことを我慢して、ストレスや自己犠牲の対価としてお給料をもらう人がいなくなったらいい。心からそう思う。

自分を大切に

ごくごく当たり前のことなんだけど、私が本当の意味でこの感覚を持ったのは娘が産まれてからだった。
自分に何かがあったら、悲しむだけでなく生活に大きな困難が発生する人がこの世に2人(夫と娘)いることが確定している。
日常だって、仕事でストレスを抱えて家でイライラしたりすればこの2人は迷惑を被るのだ。

「自分で自分を大切にしたほうがいいな」

ちゃんとそう思うようになった。
これは娘に1番感謝すべきことかもしれない。


働きすぎと言われる日本人は、この30年その頑張りに見合った成果をあげられていない。

だったら、まず自分と仲間の生活や幸せを大切にすることを一番最初に考えたらどうだろうか。
そうなると、仕事を定時に終わらせつつ成果を出す方法を真剣に考えなければならない(仕事が好きなワーママはこれをめちゃくちゃ考えてる)ので、全社会人の生産性絶対に上がると思うんだけど…。

なんだか話が壮大になりすぎて、収拾がつかなくなりそうなのでここでやめておこう。
(突然の何目線だったのか、自分でも謎)

とにもかくにも育休から復帰して1年半。
働くすべての人にまで思いを馳せる余裕ができた、ということは何よりの朗報だ。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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