momonokandume

はじめましてこんにちはこんばんは、モノカンことモモノカンヅメと申します。物書きなのでモノカンです。言葉がすきです。某有名作家様の偉大な著作品のオマージュのようになってしまうのでは、、、というのは開設後に気付きました。パクリでもオマージュでもございません、ハイ。カンヅメって考えをとことん追究して追及して突き詰めるとか、その上でそれを閉じ込めるって意味もあると捉えられたりもしませんかね。いや間違った日本語を布教しないでって言われたらそれまでなんですが。そんなどうでもいいような言葉遊びができるのも日本語の好きなところです。言葉って言葉を言の葉って言う時点から最高だと思うのです。コトノハ。なんて可愛らしい響きでしょう。(なんと言うことでしょう)と頭の中では勝手に劇的ビフォ●某フターがbgmに流れたりしている訳です。私の頭の中の状況を解説されても意味がわかりませんよね。失礼いたしました。

桃って美味しいですよね。桃は何故美味しいのか、一番美味しい時期がいつなのか、はたまたそのまま食べて美味しいものを缶詰にしたのか…そこにはたくさんの甘美と、手にした者が抱くいつか食べる時への期待感、動物ではないものの桃からしたら同時期に収穫された桃のようにすぐ食べてもらえなかったちょっぴりの寂しさが種近くのほろ苦さに宿っているのかも知れませんね。甘い透明のシロップに浸かって甘い汁吸ってると思いきや、酸いも甘いも缶の中で知り尽くして、もしかしたら骨の折れるようなことも(運搬中)、おまけに血の滲むような思いも(缶の鉄分)味わっているからこその美味しさがそこにはあるからこそ、桃の缶詰を使ったフルーツポンチという不朽の人気おやつが存在するのかも知れません、間違いなく違うでしょう、知らんけど。いや桃じゃなくても美味しいよね。うーんでもやはり私は缶詰よりそのままが好きなんですがね。ともすれば、ここまで書いた意味は?絶対論理崩壊してない?っていう結論になるのですが。

知らんけどってつけたくなっちゃうときあるよね、知らんけど。ほら。関西だとよく使われやすいと聞いたことがありますね。何だかこのように意味があるのか無いのかわからないような内容をつらつらと呟き考察したことたちというくらいには目紛しく生きているかのように入れ替わり立ち替わりコロコロ動くムダなほどの溢れる発想力というのか、創造力というのか、あら千文字超えたわ⁈)

そんなことを記録なんてことをしてみようかなあと思う次第であります。

面白い保証は出来ませんがお時間があればお付き合いくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?