雑文 #244 ささやかだけれど、役にたつこと
久しぶりにレイモンド・カーヴァーを読んでいる。
もともと手に取ったのは、訳者が村上春樹氏だからだ。氏のオリジナル作品だけじゃ飽き足らず、翻訳の文体にも触れたかったから。何よりその文体が心地良いから。
でも程なくして私はレイモンド・カーヴァーの小説自体に魅せられることになる。
彼は最も優れた短編作家の一人だと思う。(もう一人は、サマセット・モーム)
「ささやかだけれど、役にたつこと」という作品をいま読んだ。
前回読んだのは20代の時だっただろうか。
3回目ぐらいだと思うが、昔の私はバカだったね。
これは喪失の話だと思っていた。深い悲しみを描いたものだと。ストーリーをすぐに忘れてしまう私は、「息子を失い悲しい気持ちを日常のもろもろの中に書き込んだ」作品と捉えていた。それはおそろくある意味正しい。
けれどそこにはもうひとつ大事な大事なテーマがあるじゃないか。
パン屋さんの話だ。
彼の孤独と慈しみと、素直な本質の話。
過ちをきちんと認め、大人として人間として正しい行いをする。それは礼儀とともに優しさとも言える。
ひとにはいろいろ事情があるものだ。
でもつい自分のことで手いっぱいだと、相手への思いやりをすっかり忘れてしまう。
そのボタンのかけ違いというか、過ちは、ともすればひどい憎しみを生んでしまうが、そこで自分の非を素直に認める気持ちと相手を慮る気持ちがあれば、たとえ近しい人とでも出会ったばかりの人とでも、心を温め合うことができるのだ。
そこには小さなよろこびがある。
それは日常の中でささやかに見えるかもしれないけれど、だいじなことだ。
そのように、この珠玉の短編を自分なりに捉え、私の胸は震えた。
季節は巡るし青葉は葉を広げ、ばらの花は今年も瑞々しく美しく咲く。
毎日は来て、進んで、私もちょっとずつ進んでいく。
数年前読んだ小説を、違う捉え方で読んだりする。
ささやかでも、進んだり変わったり細胞が入れ替わったりしているのだろうね。
パン屋さんにちょっと自分を重ねてしまった。
彼の今後の人生が少し豊かなものになるように、自分ごとのように願ってやまない。
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