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雑文 #272 遠い山なみの光

久しぶりに小説を読んだ。 カズオ・イシグロ著 「遠い山なみの光」。 だらだら時間をかけて読んでいたのだが、最後一気に進んだ。 終わりの方のワンシーンが頭から抜けぬ。 英国文学だが、日本文学のようだった。明治大正昭和初期の、妖しくて後ろ暗い感じ。そういう純文学を読んでるときの怖さが、そこにはあった。 河原とあばら家。土手にぬかるみ。提灯に寄ってくる虫。日が落ちてどんどん暗くなり、川音と小さな女の子。母娘の揉め事に巻き込まれる主人公。不安で覆われる。やがて残酷なシーン。ショックを受けながら読む手が止まらない私。哀しさや滑稽さ。すれ違う会話。ハラハラしながら、突然場面や時代が変わる。あの母娘はどうなったのか。 やっぱりどんどん読み進めちゃう現代ミステリー小説を読んでるときとは重みが違う。こうして私は読後も引きずっている。 主人公や登場人物の運命を。私の見てない戦後の激動の時代を。長崎という街の、特にその時代に抱えたものを。 話は戻って夏の土手のシーン。お盆の雨の日家で読んだ。静かに雨音を聴きながら独りでね。カズオ・イシグロの作品では光が薄い。遠い山なみの光は、薄日だ。人生一寸先はわからないように。私も夕方や朝の弱い光が好きだが私がイギリスを好きなのと関係あるのだろうか。 これは日本文学のようだけれど英国文学なのだ。 こういう小説を読むといろいろと考えてしまう。ひとについて。時代について。個人や社会について。その過去と未来について。 「わたしを離さないで」もゾッとする(おもしろい)小説だった。 あの物哀しさはなんだろう。 きっとそれが文学なんだろうな。

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