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雑文 #99

京都音楽博覧会が、ようやく、楽しみになってきました。

え ?楽しみじゃなかったの?

…ええ、いろいろこじらせて、例年のように素直に楽しみに、心の励みにできていなかったのです。

ここんとこ私は電池切れの状態でした。

ほんとうに、身体に力が入らないのです。エネルギーが尽きてる感じがしていたのです。

三連休には西日本に台風が来るかもしれない、というニュースを聞いても「あ、そう」といった感じだったんです。

三日前まで、行けるかどうか定かでないということもありました。
しかし、家族の事情が許して晴れて行っていいということになると、私は気が抜けてしまって、体中がじんじん痺れだしました。痺れはどんどんひどくなり、どうしようかと思いました。
たぶん、緊張していた血管が一気に緩んだんだと思います。


思えば私はしばらくの間、自分を閉ざしていました。心を解放することをとことん忘れていました。

周りの人に頼ることも忘れ、周りから人はいなくなり、孤独で、ほとんどひきこもっていました。

毎日は家と店の往復で、楽しみといえば寝ることだけでした。
行き過ぎた節約も良くなかったのでしょう。
天気は良いのにどんよりした夏でした。


昨日の夕方、好きな場所に散歩に出かけました。
山と田んぼが見えて、私は草むらに座って、虫の声を聴きながら風に吹かれました。
風は涼しすぎず暖かすぎず、ちょうどよく優しく、また虫の声も心地よく優しくて、私は久しぶりに解放感を味わいました。開放感かもしれません。

夕暮れ空がとても美しかったことで、私はいい気分になりススキを摘んで、家に帰りまだ空けてなかった『くるりの20回転』を開けて、聴きながら京都と東京へ行く荷づくりを始めました。

春頃から私は昔の自分の日記を読み返していて、くるりのNOW AND THENの影響もあったのかもしれませんが過去を振り返るということをし過ぎた気がします。

春から夏の初めにはまだ私にパワーがあったので、むしろ興味深く読みこなせましたが、実はそれはなかなかつらいことだったんでしょう。

いい思い出もいやな思い出も、両方だんだんつらい痛みとなっていきました。

気づくことがあり、思い直したり自己嫌悪に陥ったり、私はすり減っていったのです。

そこでくるりの『アンテナ』の再現ライブツアーに行ったら一気に涙が出て、ホテルの部屋や帰りの電車で私は泣きじゃくりました。

なぜか激しい孤独感に襲われ、強く生きていかなければいけないという意識だけが先走りました。

その後、やりたいこともうまくやれないようになり、昨日の夕方に至ります。


私は新しいほうのくるりのファンですが、シングル集を聴いていたらいっちょまえにそれにまつわる思い出のようなものがありました。

その曲が出た頃、くるりが好きだということで知り合って仲良くしていた人たちを思い出しました。

彼らとはもうあんなふうに仲良くはないけれど、その時期私の生活に彩りや楽しみを与えてくれていたことは確かです。

具体的にはふたりの男性ですが、私はずいぶん救われたのです。

ありがとう、と思いました。

そういうことも忘れて、私は大きな喪失感にばかりとらわれていたのです。

音博やNOW AND 弦で私は泣くだろうか。

音博は、今年で8年連続行くことになります。
それだけで、ありがたいことなのに。

強く生きたい。そのためにはもう繊細なものや繊細なひととは決別し、目の前のことに邁進すればいい。

身体をじんじんさせながら、そう思ってみたのです。
みたのですが、秋の野の花やそよぐ風や流れる雲や美しい夕暮れを見て、無理だと思いました。
私は優しいもの優しいひとが好きなんだと。

もうすぐ誕生日。
季節がトーンダウンして、切なくも優しい空気が漂う、私の生まれた月は、好きです。




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