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雑文 #3

笑う門には福きたる。近頃ほんとにそう思う。


明けましておめでとうございます。


年末年始は、生後9ヶ月の姪っ子花と過ごしていた。あ、もちろん妹や家族と過ごしてたってことなんだけど。赤ちゃんって生命力に満ち溢れていてほんとにすごい。存在感抜群だ。

たまにツボに入ることがあるらしく、花はバカ笑いをする。我々にとってはすごくくだらないことを繰り返し繰り返し、でも一生懸命やる。こちらにもバカ笑いがうつってくる。そうして笑っていると、無意味に楽しくなってくる。もしも気持ちが沈んでいても、次の行動へのやる気が出てくる。


笑顔もすっぴん。花もすっぴん私もすっぴん。


岸田日記に「2015年は光り輝いてる、そんな気分で新年を迎えた」と書いてあったけれど、私にとっては年が変わったことがあまり感じられないようなもやもやした年末年始だった。子猫の菜々が息を引き取った1年前の大晦日よりはずーっとマシだったけど。まだもやもやしてる。絶望してるわけでもないけど、煌めいてもいない。


大きなお弁当みたいな地味なおせち。これが、大人6名+赤ちゃん1名で、ほぼ1日でなくなった。おせちってよく余るわりに高いので、近年は手作りする。自分で言うのもなんだけど、美味しかったから、つまりは見栄えより味なんだと思う。見栄えがいいのに越したことはないが。これはいろんなことに言えるよね。


また岸田日記の話に戻るけど、

「転調するときって、必然とか偶然とかじゃあない。とても意図的なものである。しかし、聴き手からすると、とても自然、あるいは必然の流れだったりするもんだ。変わるとは、自発的なものだ」

これその通りだと思う。2年くらい前から私も思ってた。自分で変わろうという意思がないと人は変われないよ。ついでに言うと、どんなに身近な人だって、変えることはできない。その人が変わるつもりがなければ。近くにいるうちに、影響し合うってことはあるけれど、そこまで行くにはすごく長い年月がかかるだろう。変えようと思って変えられるのは、自分だけだ。

岸田くんには年末相当いいことがあったんだろうな。いろんなものがキラキラして見えるってかなりHappyなときだ。


そんで私なんだかもわっと思ったんだけど、くるり以外にも生き甲斐を見つけたいなぁと。

くるりには本当にお世話になった。実は数年前、毎晩必ずくるりのアルバムを聴きながらでないと眠れない時期があったのだ。2~3年続いた。普段はコンポで絞ったボリュウムで。外泊時には必ずウォークマンを忘れないようにして。ほとんど睡眠導入のお薬のようなものだった。今だって、ライブがないと生きていけない。

もちろん今後も好きだし、聴くし、観るし、買うけど、もうこの依存性みたいなのをちょっと改めようかなって思った。凝り性だから、好きなもんは掘り下げなきゃ気が済まなくて、ほどほどにっていうのができないだろうけどね。依存的にではなくて、人生の指標というか、ヒントというか、そういう存在に。寄りかかるのではなくて、寄り添うみたいな、ともに歩くみたいな。そんな付き合い方ができればいいなと思ったんです。

でも他に何を生き甲斐にすればいいんだろう。

趣味はたくさんあるけど…一番いいのは仕事なんだろうな。



初公開・私の家のデスク周り(笑)


今年もよろしくお願いします(=ΦエΦ=)


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