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雑文 #29

私が任せてもらっている小さな店では、お昼の12時に教会が鐘をキンコンカンコンと鳴らし夜の9時にはお寺がボーンボーンと鐘を鳴らすのが毎日聴こえる。
店は12時開店なので、教会の鐘の音ははじまりの合図だし、残業しているとお寺が9時を知らせてくれそろそろ最終バスの時間だと知る。

規則的に暮らすのはどちらかと言うと得意じゃない。ハプニング的なことを私はわりと好む。
だけどこのふたつの鐘の音は、とても安心させてくれる。私がここに住んでいいと言ってくれているみたいだ。

高校卒業を指折り数え、都会に出て行ったのに戻ってきた心境は複雑で、私は現状にまったく満足していない。
戻ってきた頃とは比べものにならないくらいマシなのに。
人は欲が深いんだね。それとも私が、か。


私が店も仕事も何もできていなかった頃にふと出会ったお花の先生が素晴らしいセンスの持ち主だった。

私は何年か熱心にレッスンに通い、それは月に一度の私の本当に楽しみな時間となった。

先生とふたりで話していたときに、「秋田に戻って来て、先生がいなかったらどんなにつまらなかったろう。先生のレッスンで、花に触れものを作ることにどれだけ救われたか」ということをこの前言葉で伝えたが、ちゃんと伝わっただろうか。
「それは良かったわ」と言ってくれたのでたぶん伝わったかな。

私が能動的に何かをやるようになれたきっかけのひとつである。
家族以外の人で、とても感謝している人のひとり。

そしてもうひとつのきっかけはやはり、くるりである。
私を突き動かしてくれたもの。完全に眠っていた情熱を呼び戻してくれたもの。

作品から滲み出る人柄のようなものを私は信じる。
作品と作家の人格は別だという人もいるけれど。
私はそれを言う人を不思議に思うんだよね。


上は最近私がレッスンで先生に褒められたリース。

こんなもんじゃない作品がいっぱい、明日から3日間展示されます。

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