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雑文 #27

上の写真がとても好き(「Morning Paper」のときかな?)

ものすごい早い時間に抗いようもない眠気に襲われ寝てしまい、3時とか4時に起きてしまうここ2日間。
文を読むか書くかすれば落ち着くだろう、と思ってしたためる。
(読むほうは、いま読んでいる大ヒット小説がおんもしろくなくて、なぜこんなにおんもしろくないんだろう、なのに売れたんだろうと思いながら勉強のような気持ちで読んでいる)

おもしろい、とか、いい悪いは完全に人それぞれの主観だが、私がかなり好きだった星野源(病気で倒れたときは治癒を願いに神社に行ったし、ワンマンを観に仙台遠征をしたこともある)が、どんどんつまらなくなっていく。曲がね。俳優としては、テレビドラマは私はほとんど観ないからどうでもいいんだけど、ミュージシャンというよりはもはや歌手。Mステを観たTwitterのフォロワーさんが、バックがカラオケだったと書いていて愕然とした。

今年、源ちゃんがギターばっかり弾いていたSAKEROCKの解散ライブを観たのだ。星野源の作曲の才能を発揮し、伊藤大地くんのドラムが炸裂し、完全にバンドしていたのだ。インストゥルメンタルに徹した、仲の良い音楽を愛する男子同士で組んだ、バンドでしかなかった。

SAKEROCKを解散したことで源ちゃんの中で何か区切られたのかなあ。
カクバリズムにいたら紅白歌合戦には出られないし、生死に関わる病気をしたからもっと世に出たくなったのだろうと私は見ている。
それにしても作品が残念。『STRANGER』までは共感の涙を誘うようないい曲書いてたのに。

ところで、くるりのライブにガツンとやられた私は岸田繁さんにTwitterとかで「私もがんばります!」とか書いたのだがまだ調子が出ずがんばっていない。焦る。

くるりはいま星野源と好対照だ。
源ちゃんが大手事務所に移籍する頃、くるりは自分たちの事務所を立ち上げた。
源ちゃんがバックがカラオケでも歌っちゃうポップス歌手になっちゃった一方でくるりの仕事は(音楽に際する仕事は)どんどん丁寧になっていっているように見える。

昔、私は近鉄時代の野茂投手の先発する試合を観に行きまくっていた時期があった。本当に好きだった。いまも好きですが現役でないので…。

野茂英雄も我が道を行っていた。そして時代を作った。メジャーに行くと宣言したとき、プロ野球界の偉そうな面々が思いっきり馬鹿にしたことを私は忘れない。江川は「通用するわけがない」とテレビで言い放った。

そしてあの活躍だ。胸がスッとした。ロサンゼルスに試合を観に行くくらい私はうれしかった。

野茂英雄も一目惚れだった。プロ野球界デビューの年頭に投げてる姿を見たとき急激に
「私この人好き!」って思った。
先発の柱だったので登板日を予測してせっせと球場に観に行った。
観ている間は、いま、くるりのライブで岸田さんを見つめる視線ぐらいの熱量があったと思う。
アメリカで苦渋を舐めていたときもずっと、彼は日本球界に戻ることはしないだろうと信じ、心で応援していた。

岸田さんも、初めてライブで観た瞬間に
「私この人好き!たぶん一生好き」
と一目惚れだったから、何かでっかいことをそのうちやるんじゃないかなあと思っている。
源ちゃんとか、他の普通に売れてるバンドとは違ったアプローチで。

星野源の、作曲や作詞や従来のセンスは素晴らしいと思うのだ。
ファンだからこその、批判です。基本的に好きなんです。

彼は大人計画に所属している(まだしているはずだ)
先日東京で、クドカン脚本演出の「7年ぶりの恋人」を観に行って、もう恥ずかしいくらい抱腹絶倒だった。クドカンの実力はあまちゃんみたいな甘いもんではないと思う。

ただ、きっとクドいと思う。あっさりブームの昨今、あのLIFEとかいうつまんない(ってとうとう言うてもた!ただの個人的主観です)コント番組が受けているなら、大人計画はクドくてグロすぎるだろう。
でも、そういう芸術寄りのほうが私には合っている。
「7年ぶりの恋人」が芸術なのかどうかはまた議論の分かれるところかもしれないけど、やはり感性でやっている感じ、細かいこだわりの集積なところはやはりアートなのではないか?

POPというものの社会的貢献は否定しないが、それだけになっちゃう世の中は色がない。ワガママで乱暴な言い方をすると、つまらないのだ。

ものを作る、ってことを生業にしている人にとって、大きな悩みかもしれないね。

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