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雑文 #228 ライブ

10ケ月ぶりに音楽のライブを観に行った。

柴田聡子のひとりぼっち。大手町三井ホールにて。
6月にやるはずだったものの振替公演。
この間私の引き出しにはずっとそのチケットが眠ってた。

ひとりで弾き語りというスタイルでやっているシリーズ。もともと座り席で。
私は久しぶりのライブに、心がどうなるんだろうと思っていたが、意外と平常心だった。

というか、平常心以下だった。
音楽は心がこもっていて素晴らしかったものの、だってなんか不自然。
観客もぎこちないし、ステージが遠く感じる。前から8列目のわりと良い席だったのに。
人と人の間に距離がある。もちろん、物質的に。その社会的距離は、私たちを一体にしてくれない。ミュージシャン(柴田聡子さん)ひとり、私ひとり、のライブであったようにも思えた。
その分、歌詞がすごく頭に入ってきた。
そう、私はいつもよりずいぶん客観的にライブを観ていたのである。
泣きも笑いも震えも起こらない。
いや…実際は一度ぞわぞわして右目から涙が出たが、あんなのは私には泣いたうちに入らない(私はライブ中どくどく泣くことがある)

大手町が、まるでディストピア。
じつは3日前にも講演を聴きに大手町に行ったのだが、平日でさえディストピアだった。
人気が少なく、レストランもガラガラ。
今日は土曜日だからなおさら。
高層ビルが空っぽみたいになって、本来うごめいているものが息をひそめてる。
新宿や池袋に行くとそれなりに人がいるので、あんまりピンと来なかったが、本当にエリート会社員たちはテレワークをしているのだな。
映画などでディストピアを観るのはおもしろいが、本当のものはゾッとするので、私は今いちばん行きたくないところといったら大手町かもしれない。

だから不思議な時間だった。
サッとライブ観てサッと帰る。
冷え切った街。
ライブ会場だけが、ホットで異次元。

そこには歌があった。
誰も体を揺らしたり声を出したりしないぶん、私は歌に集中した。
歌詞を聴いているつもりなのに、私はいつしかそこを飛び出してさまざまなイメージの連想を始める。
イメージは具体的な言葉にはならない。あくまでもイメージだ。歌によって引き出されたイメージ。
それは、いま現在の私の想いであると気づく。
今いちばん気がかりなこと。自分の感情。やりたいこと。そういう想いに私はどんどん気づいていく。
あぁ、そうだった、思い出した。私はくるりのライブを観てよくこうなったものだった。
かつて重大な決意を導いた瞬間もそこにあったっけ。

おそらく、私は日々雑念に取り巻かれていて、ちゃんとものを考えることができてない。
それに自分ひとりの力じゃ根底にある気持ちに気づくこともできない。
それを引き出してくれるのがライブなのだ。
歌の歌詞そのものがズバリと言い当てた、というわけでもない。
なんかいろんな心の底のイメージが浮き上がってくるのだ。
私は今日自分がいま何を最も気にしているのかがわかった。

そういうことをわからせてくれるのは、本当の気持ちがこもった音楽のライブだけなのである。

#日記 #雑文 #散文 #ライブ #音楽 #柴田聡子

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