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世界はきっとマトリョーシカみたいになっている。

私はテーマパークが大好きで、大阪の会社に勤めていたときはUSJにちょくちょく遊びに行っていました。作りこまれたでっかいおもちゃ箱みたいな雰囲気がとにかく好きでねー、ユニバーサル・シティに入った瞬間からめっちゃテンション上がるんだよね。

子どもの頃は本当に人混みに弱くて、せっかくディズニーランドに連れて行ってもらっても顔面蒼白フラッフラの状態で意地だけで遊んでたし、夜にもなると「早くホテルに帰るよ!」って言われるくらい具合が悪くなっていたんだけれど(もちろん、帰りたくない!とゴネてパレードまできちんと見る)、大人になってそんなことはなくなりました。良かった良かった、せっかくの楽しいスポットだもの、ご機嫌で楽しめるようになって本当に良かった。

要は、テーマパークの“世界観に準じて作りこまれた空間”というものがとても好きなのだ。それはテーマパークに限らず舞台でもゲームでも映画でもライブでも何でもいいのだけれど、日常から抜けだしたハッピーパーティーお祭空間、が大好きなの。特にテーマパークは360度全部その世界観に入り込めるからいいんだよねぇ。

ハロウィンの時期とか特に!好き!みんなが思い思いの仮装をして、一緒にお祭しよう!っていうあの空気が、たまらなく好き。

人もそう。みんなそれぞれ自分の世界観を持っているけれど、それをちゃんと楽しんでいる人が好き。「私はこう!」と決めて表現している部分はもちろん、意識的にか無意識的にかじんわりと滲み出てきているものが結果的に作り出している部分も、とっても面白い。

というか、後者が前者の土台になっていることが多いよね。それがその人の個性だったりクセだったりするわけで、人付き合いをするときに合う合わない好き嫌いが分かれるところでもあります。

その個性やクセみたいなものをさ、みんなに好かれよう=誰にも嫌われないようにしようとして抑えこんじゃうと、割とロクなことになりません。『無難』を作ろうとする、万人に受けようとするのは、死ぬほど難しいことですよ。そこに敢えてチャレンジするならまだしも、逃げ腰で『普通』や『無難』でいたい、と思っているならやめておいた方がいいと思う。

数年前、とあるワークの事前課題として、周りの人に私の印象をひとことずつもらってみたんですよ。そうしたら出るわ出るわ、10人に満たない人数にしか訊いていないのに、バラエティ豊かな答えたち!

そりゃ私という人間が軸になっているので相当分の偏りはありますけれど、ももねこっていう枠の中でもそんなにあるんだ!?と思えるような色とりどりのご回答をいただいて、すごく面白かったのです。

中には「それ世間的にはウィークポイントちゃうかな……?」と思うような回答もあったけれど、それもその人にとってはももねこのいいところとして見えているのだから面白い。いやはや、本当にありがたいお話でございます。

もしも私がテーマパークだとしたら、どんなテーマパークになるかしら。何がメインテーマで、どんな雰囲気で統一して、どんな世界観があって、どんなエリアが、アトラクションがあって……大人になったからこそ、落ち着いて自分のことを分解できるし、大人になったからこそ、そろそろそういうエッセンスを楽しみながら自分の生き方を設計していくのが肝要なのではないかしら。

設計していくというよりも、もしかすると自分がどんなテーマパークなのか、少しずつ思い出してほこりを払っていく感じかもしれないね。その上で、昔はこれがここにあったけれど、今はここだなぁ~新しくこれも置けるし、古いものは倉庫に片づけて……って改修していくのも非常に楽しいと思うのです。

でもって、ひょっとして、もしかして。世界の中に我々がいて、我々の中に世界があって、世界の中にまた我々がいて……世界というものは、そんな風になっているんじゃない?……などと、いきなりこの記事のタイトルに繋げるんだけどさ。

世界はマトリョーシカ。自分含めみんなのマトリョーシカを開けていくのは、とってもとっても面白いのだ!(そして占いはその作業にうってつけのツールであります)

まだまだやることも考えることもたくさんあるね。面白がることも楽しむことも驚くこともわくわくすることも抱えられないくらいあるんだね。これからも飽きずに生きていこうと思います。

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