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シンポジウム 『性暴力をなくすために男性ができること』のメモ

今日のシンポジウム。
『性暴力をなくすために男性ができること』

男性学と性暴力研究の第一人者というアメリカの心理学者、クリス・キルマーティンさんの基調講演では、アメリカの事例から、性加害をなくす(減らす)ための教育、研修についてが報告される。「状況は変えることができる」という言葉に力強さを感じました。

ざざっと印象に残ったことを。
信田さよ子さん(原宿カウンセリングセンター)『臨床現場から見た性被害』
*臨床心理士のポジショナリティは常に"被害者の立場"
 中立は被害を見えないものとする
*性虐待は常に過誤記憶(フォールスメモリ)との戦い。
 クライエントの語る言葉を信じるスタンス。
*PTSD・トラウマなど被害の深刻さを知ることが加害者臨床の基本となる。
*「それは性被害である」と<定義づけ>ることが援助者にはいつも求められる。そして責任は100%加害者にあることを示す。
*性被害は、忘れよう、なかったことにしようという否認期間がある。でもそれも悪いことではなくて、その人にとって必要な時間、という考え方。また、生起した時から時間が経ってから認識することがほとんど。
*性被害を受けた自認はあるが、主訴とはしない。(別の主訴とする)
*被害者という<当事者性>を持つことには抵抗がある。支援者は、何か気になると思ったら、背景には性暴力があるのではないかと疑う。
*複雑性PTSDの知識は必須。トラウマ治療(EMDRなど)につなげるタイミングの判断、連携できる精神科医(できれば女性)が必要。
*PTSDのジェンダー差。男性はなぜだか過覚醒の傾向が見られる。
*被害者ケアと加害者臨床の最大のキーワードに「責任」がある。加害者と被害者の?過大な責任を問う声。責任については心理教育ではあまり取り上げられることはない。

中村正さん(立命館大学人間科学研究科教授)『日本における性暴力:男性学と加害者臨床の現場からの考察』
*虐待する父親の「男親塾」。児相から子ども家庭復帰の際に、虐待やDVする父親をどうにかしないとと、大阪にて。少年院での性犯罪処遇スーパーバイズ。DV男性の更生面談など多数。
*多くの暴力に関わる男性と接してきて気づくこと。「暴力性」は自覚しているが、「加害」という自覚がない、加害を自覚できていない人が多い。彼らにはセクシズムだったりの暗黙知?がある。
*他罰性、他者非難がとても強い。「社会も悪いんじゃないか」。罰を受けることは、裁判所(裁判官、検察官、被害届出した被害者など)が悪いと考える。
*刑務所でのグループワークSVに入るが、彼らは心理士や刑務官を巻き込もうとする。支援者は巻き込まれないこと大事。男性同盟を「メンズトーク」と呼び、「今メンズトークに巻き込まれてるよ」と気づかせる。
*性犯罪には10の類系があるが、典型的な「性犯罪者」=強制わいせつ型、痴漢型、盗撮型。平均年齢40歳前後、既婚者、有職者も。大学進学者も多い。家庭を持ち仕事もしている「普通の人」が性犯罪の再犯を繰り返している。
*「男性性ジェンダー」の視点。児童福祉は「母子」中心でこれが弱いところでもある。母への責任の押し付け。
*子育てには参加してないのに虐待する父親、というのはいる。なんでと聞くと、「子育てはしてないけど、自分は男だから虐待する」。

平山亮さん(東京都健康長寿医療センター研究所研究員)「『ケアする男たちは暴力から最も縁遠い』のか?」
*親、配偶者の介護を通して見える男性性、女性性(ジェンダー)について。
*介護の場面で、男にケアは難しいとされるのはなぜか。「男性性の内面化」「女性性の内面化」とよく言われるが、本当にそうなのか。性別役割とは、性別に関連づけられた規範であり、「男とは、女とはふつうこのようなものである」という考え方。
*認知症の配偶者への適応のしやすさとして、実は家父長的な夫は適応しやすく、常に夫をたてかしづいてきた妻は適応しにくい。これは「ケア」と「支配」の構造的な重なりが見える。ケアは他者の命、殺生与奪権をその手に握ることである。
*母の介護をする熱心な息子の事例から。息子「嫌がったことない」「母がして欲しいことはわかる」絶対の自信、それに対して母「関係性ゆえの言いにくさ」「意思表示できない状態」という<強者と弱者の非対称性>がある。そこへ周囲も「お母さんは嬉しかったはず」という、強者の解釈を補完・擁護する。弱者の意思を尊重しないまま、状況の解釈が行われていく状態「ケアと暴力は似ている」(ケアと(性)暴力の構造的な類似性)
*「男性性=暴力性、攻撃性と結びついている」への疑問。思い当たる事例は枚挙にいとまがないが、ではどんな場面や相手でも、男性は簡単に暴力に走るか。「男性の暴力行使」=「男性性」とすることは、「内在化する攻撃性・暴力性」を「男性性」と結びつけることであり、それ以外の事例を「男性性」と結び付けないこと、例外化することである。
*女性の暴力性について、女性政治家の暴言暴力ハラスメント事例より。女性の「男性性」(政治という男性の世界に適応しすぎた、男らしさに原因がある)が言われる。
*しかし構造的に優位に立てば性別に関係なく、自分より弱いものに力の濫用をする可能性についても考える。男性は、構造的に優位に立てる状況の多さがある。
*「男性性からの解放」=男性性で男性の攻撃・暴力を<解釈>することから距離を置くこと。
*「わからない」という非支配の実践。手中に収めることができる(わかったことにできる)相手に対してそうしないこと。この人の意思は、希望は、最前は、私には完全にわからない、という「本当にこれでいいのかしら」。相手との境界線を引き続けることが、力を濫用しないことの実践になる。