幸せそうだと決めつけられて その後


何年か前に、「自分のことは特別不幸だとは思っていないけど、人から幸せそうだと言われると腹が立つ」というような文章を書いた。
これは、そう思っていた私のその後のお話である。

私に向かって「幸せそうでいいな」と言う人は、いろんな人がいたけど、中には「不幸でいたい」と胸を張っている人もいた。
不幸でいることを選んだ人からの唐突な「幸せそうでいいなあ」という言葉は、私を混乱させた。
自ら不幸を選んでいるのに、幸せそうな私が羨ましい。
こんなに矛盾したことがあるだろうか。
誰かから強制されたわけでもなく、自らの手で不幸を選びとっている人も、結局のところ、幸せに憧れがあるのだなと感じた。

ここまでの文章を書いたのが2019年。
そしてここからは、2024年の私が書きます。


つらいことも苦しいこともたくさんありましたが、それに張り合えるくらいの幸せにも恵まれました。
いろんな人に助けてもらえました。
「幸せそうでいいなぁ」と言われて腹を立てていましたが、私は結局のところ、幸せなんだと思います。
誰と比べてというわけではないけど、少なくとも私に対して「幸せそうでいいなぁ」と言った人たちよりは、幸せなんだと思います。多分。
それに対して返す言葉はありません。
見つかりません。なんも言えねぇ。
でも、確かになぁ、と思いました。
これのために人生振り返りましたよ。
私が当たり前に手にしているものの尊さとか、必要ないものを手放す決断ができたことの潔さとか、なんとかかんとか、「確かになぁ」と思いました。
それは皆々様のおかげでございます。
感謝です。

でも、正直なところ、「それを言われてどうしたらええねん。」と思いました。
それでは聴いてください、TOKIOで、宙船。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?