のろいのことば
こんばんは。もぬんこです。
「のろいのことば」を知っていますか。特に幼少期に当たり前のように言われ続けることで、無意識のうちに思い込んでしまう効果を与える攻撃です。
主に私が受けたのろいのことばを紹介します。誰かの言葉にもやもやしている方は答え合わせしてみてください。あなたの「のろいのことば」は出てくるでしょうか。
もぬちゃん+「は」+褒め言葉
私はとっても良い子でした。特に高校生までは反抗期もなく「親にできるかぎり迷惑をかけないように」過ごしていたのを覚えています。
色んな大人からたくさん褒められました。
・もぬちゃんは良い子だね
・もぬちゃんは親孝行しているね
・もぬちゃんは頭が良いね
・もぬちゃんは何でもできるね
・もぬちゃんは理想の娘だね
・もぬちゃんはいつも笑っているね
母は、その度に笑顔だったように思います。この笑顔は、心からのものでした。
当時の母は、結構な鬼で、この世で一番怖いものは母でした(笑)
特に小学校までの抑制は酷かったのを覚えています(治安の良い地域ではなかったので仕方ないと今は思います)。
鬼母が、本当に笑顔になってくれることが嬉しくて、「大人が喜ぶこと」を率先して行いました。外面花丸です。
ただ、ずっと違和感がありました。文字で表現すると以下のようになります。
うちの子(孫)はできないのに、もぬちゃんはできるのね。
純粋に褒めてくれた人もいましたが、嫉妬や憎悪にまみれた大人も多かったのは事実です。子供だからこそ見える大人の黒い部分を浴び続けて育ちました。振り返ると「完全に嫌味やな」っていう言葉も。
当時の私は結構な天然だったので、嫌味についてはとてつもないポジティブ回答をしていたように思います。
運動音痴だよね
気が付けば私は運動音痴だと思っていました。ただ、高校生の時にいきなり始めた剣道で「あれ…私運動音痴じゃないかも」と思うようになったのです。
自分なりに分析をしてみたところ、自分の手足で球を直接どうにかする球技が苦手だということがわかりました。バスケ、野球、サッカーというようなスポーツです。野球もバッドにあてるのは得意で、バドミントンや卓球も人並みにできます。
短距離走が壊滅的に遅いです。ただし、長距離走は意外といけます。ただ、走ることそのものが嫌いです(笑)
こうやって分析していくと、「できる運動」「できない運動」「得意な運動」「苦手な運動」があることがわかります。
運動音痴だと冗談ながらに言われ続けたことによる思い込みだったのかもしれません。
※なお、この件は最近友達とお話してて気づきました
運動だけではなく、勉強や絵にも当てはまります。
「あなた(私)は〇〇ができないのだから」というのろいのことばを捨てましょう。
「私まじてんさーい!」くらいがちょうど良いです。天才の私よりすごい人は「神!!」って叫びましょう。
こんなはずじゃなかったのに
これは私自身の言葉です。人生の分岐点で頭を巡る「こんなはずじゃなかったのに」。自爆していました。
離婚をするかどうかで悩んでいる時が、一番追い詰められたと思います。
詳細は割愛しますが、急に吹っ切れたのです。
前提からおかしかったんだ。
こんなはずじゃなかったのにって…じゃあ"どんなはず"だったんだ。
私だけで解決できることじゃないし、これからずっと考えなきゃいけないのなんて面倒。
私は私のことだけを考えて生きていきたい。
それが離婚を決めた瞬間の思考です。
一瞬で霧が晴れたのを覚えています。
前回の死生観の記事と同様、面倒臭がりが爆発しました。面倒臭がりも考え方によってはマイナスではありません。
あの時こうしていれば
多くの人がかかっているのろいのことばです。いわゆる「後悔」。
私が学生の頃は、未来のたらればをせず、過去のたらればが多かったように思います。
「あの時〇〇ちゃんがこうしていれば、今はどうなっていたでしょうか。」道徳の時間でよく耳にしていた言葉です。
正解が「幸せになっていたと思います!」で終わる意味のない授業の一つです。こういう問いには正解はないはずなのですがね。
※大人達に鍛えられていた私は、道徳・国語についての「模範解答」を導き出すことに長けていました
27歳の時に当時の会社の社長から「本を読みなさい」と言われ、3冊の本を薦められました。
・怒らない技術
・7つの習慣
・グリム童話
グリム童話は元々好きだったので、読んでいないのですが、他2冊は私の人生を変えました。
特に7つの習慣を読んでから、主体的な考えを持つことを意識しています。
それから様々なビジネス書に触れていき、「後悔はポジティブな方が良い」という持論に行きつきました。
起こってしまった事象は、この世界線では変えることができません。
「同様のことを二度と起こしたくない。どうすればいいか。」を考えるための材料として、後悔から改善策を導き出すようにしています。
後悔してもその事象は変えられない。私の理想通りに解決はできない。
そのことを受け入れるだけです。この「だけ」が難しいんですけどね。
あなたはどうしたいの
この言葉は、最近になってよく聞く言葉です。この言葉そのものは良いのです。ただ、タイミングを間違わないでほしいと思っています。「自分がどうしたいか」という自己決定なんてさせてもらえない世代でした。そんな世代が社会に飛び出してから「あなたはどうしたいの?」と言われても何が何だかという感じです。
甘えと言われるかもしれませんが、「自己決定の大事さ」を知っている人に使う言葉であってほしいと思います。もしくはその問いの前に教えてあげてほしいです。
「決断する」ということは技術です。みんなできるようになるけれど、それを良しとしない日本の文化(同調思考)があります。
この力を養わないと、「人生はすべて誰かのせい」になります。
あなたの人生なのに、どうしてあなたが決めないの。
「決めればいいじゃん」って言う人が多いでしょう。では、あなたが中学生の時にその力がありましたか。あった方は神です。本当にすごいと思います。私は人生の決定権なんて無いに等しいと思っていたので、25歳くらいまでは全て人のせいでした。
決断することの大切さを幼少期から磨く文化にしてほしいものです。
そして、決断したことを尊重し認める世界になってほしいです。
あなたの人生を歩めると思うな
これは私が言われた言葉ではありません。私の友達が親に言われた言葉です。複数名の方が言われていて、何度聞いても衝撃を受けます。
戒めなのか何なのかわかりませんが、自分自身の人生を歩んでほしいと思います。実際に私はその人達と対話し続けています。10年以上経っても振り戻されることがあるからです。
例えば、「私は子供のために生きるんだ」という気持ちそのものは構わないのですが、行き過ぎてしまうと「自分が成し得なかったことを子供に求める」という事象が発生します。私自身少しその節を感じながら育ちました。
子供も一人の人間として、対話したほうが良いのです。(この辺は7つの習慣の説明がわかりやすいです)
妻として、夫として、親として、祖母として、祖父として、子供として、孫として、兄として、姉として、弟として、妹として…
その考えそのものは否定しませんが、何でも行き過ぎるとのろいのことばになります。
適度な圧迫やストレスは人生において必要な時もあります。何事も行き過ぎないことです。
のろいのことばと表現した理由
単純に、「私が言われ続けたのは無意識の刷り込みだったんだ」ということを理解してほしいのです。
それに対して落ち込むのではなく、のろいのことばとして認識することで「あー、はいはい!」と受け流すこともできるようになると思います。言葉を全部真正面から受け止める必要はありません。その日の気分によっては受け止められない時はあります。軽く流すのも最初はできないかもしれません。
言葉の力は強い。のろいのことばになることもあれば、あなたを救うことばになることもあります。
私は私の人生を生きてて天才!
そんな合言葉を呟きながら、自分を大切にしてくださいね。
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