見出し画像

目録

ここのところ、かなり忙しい時期が続いていました。
正直疲れた時間が多かったのです。
だけど、書き留めておきたいことだったので
少し暗いですが、23歳の女はこんなことを考えているよと思いながら読んでいただければ幸いです。


❤︎

ベージュの軽自動車が止まった。

週末の駅前は人がそれなりにいる。
それでも、シンとした音が漂う。

実に10年ぶりにいとこと再会した。
そもそも、
私が助手席で、いとこが運転席な
このシチュエーションでさえも年月を感じさせる。

祖父が運転する白い軽自動車はよく揺れた。
海辺の段差を猛スピードで走り、
一瞬ヒヤッとするあの感覚が私たち子供の楽しみだった。

対していとこの運転は、慣れているし安全運転である。

たわいも無い話から人生の話まで
車内で飛び交った。


「もし次会うのが、
なんかの式やったらろくに話せやんやろし」


私がいとこに会いに行こうと思った理由も
まさにそれだった。

距離は変わらないのに、
この数年で本当に遠い存在になってしまった。
目に見えない何かが纏わりついて、壁を作っている。

ただ、私たちの20代前半は今しかない。
この時に会っておきたかった。

そして、10年あっていなくても
こうやって家族を大切に思う気持ちがあったことに
凄く嬉しくなった。

お互い働いて、仕事に精を出す毎日だけれど
隣り合って呪術廻戦を読んだあの時は
幼い頃ナルトのゲームをしたあの時間と変わらない。

あなたが生きててくれてよかったと感じた。
生きていなきゃいけない人だから。

こうして、
目に見えない繋がりはさらに硬さを増していく。


冬の空は澄み切っている。

余計なものがない。星が煌々と輝く。
まるでそれは道標の様だ。

2022年はやたらと星を見る機会が多かった。
さらに、流れ星を見ることも頻繁にあった。
おそらく目が疲れていただけだが。

思い返せば中学時代も星が好きだった。
5教科受験をした私は、理科への懸念があった。
天体部分は確実に計算問題がない。
だからこそ完璧に覚えていた。

1ヶ月後に受験を控えた、中3の冬。

中3より昔の私は
口に出すのが恥ずかしいほどの劣等生だった。
学校では悪態から先生から無視されて、
いわば学校の問題児だった。

駆け込み寺の様に入れられた塾は地元密着型で
その道ウン10年のベテラン先生が
教えてくれることになった。
夫婦で営む塾は「確実に志望校に合格させる」という
口コミが広がるほどに評判が良かった。

それでもその頃の私は、
大人に対して異常な不信感を抱いていた。
固定の先生や生徒以外誰も関わろうとしない環境に
孤独感を感じ、もっとおかしくなっていた。
塾の先生も、どうせ見た目や格好だけで決めるんだろうと思っていた。

辛い時にこそ救ってくれる人がたまに現れる。
人生内「縁」という素晴らしいシステムだ。


塾で泣き喚こうが、時間がとてつもなく遅くなろうが
不登校になろうが向き合ってくれた。

向き合うだけじゃなく、成績ももちろん伸ばしてくれた。
同じことを何回間違えても、何回直さなくても
顔を正面に合わせてくれた。

こうした日々があって、受験1ヶ月前には
一応のA判定が出ていた。

冬の帰り道、先生が大通りまで送ってくれていた。
空を見上げればちょうど双子座流星群の極大が
天体ショーを繰り広げていた。

藁にもすがる人がいるならば、星にも縋る思いだった。

合格したかった。
一発逆転したかった。

そして、合格した。

この文字くらい、合格報告の返答は温度がなかった。

「そうですか。おめでとうございます。」

私は少し悲しくなった。
地獄の様な場所から這い上がったのに、
先生は何故あまり喜んでくれないのか。

隙間風が心に入ってきた。


仕事を終え、終電後の帰り道を行く。
冬の寒い日だ。
明後日から名古屋で大事なプロジェクトが
始まることもあり大事をとってタクシーに乗り込んだ。

降りる時にイヤホンを無くした。
左耳だけなくなった。
最近のイヤホンは
必ずペアでしか音が出ない仕様になっている。
新しいモノを購入することを決めて、家のドアを開けた。

遅い時間なのに、母が私の部屋で座っていた。
一連のイヤホンの件を話すと、こう放った。

「ああ、きっと持って行かれたのね」


塾の男性の先生が、亡くなった。


翌日の名古屋を最終便にずらし、
私はお通夜に向かった。

憎たらしいほどに華やかな花が周りを囲む。
いつも身に付けていた緑のセーターを着て
優しく微笑む先生の写真の周りを。

何より辛かったのが、
夫婦としても 先生としてもペアで歩いてきた
女の先生がとても小さく、肩を震わせていた姿だった。


あの頃がなければ、私はこの大学に入れていない。
そして、今の私はいない。
こんな話を言ったら「テセウスの船」の様だが
私にとってはどんなパーツでも無い
変え難い心の部分を作ってもらった。


飛び乗った新幹線が私を名古屋へ連れ出す。
久屋大通のエスカレーターから見上げた空は、
澄み切っていた。

空に一つの星が見える。
昔の人はこうやって進むべき方向を探した。

私も、今のところ、流れる様に人生を歩み続けている。


「やさしさ」と「思いやり」は違うと私は思う。


優しさは、時に狂気を孕む。

考えの放棄だったり、諦め。
いわゆる受け身が多い。

持ち込まれている「あたたかい気持ち」が
それ由来のものだと感じた時、私はとても悲しくなる。

急激に温度が下がり、
手のひらからこぼれ落ちて無くなっていく。


対して「思いやり」は、針の様なものだ。
槍のくせに、針だ。

ちくっと刺せば、少し痛くて血も出るけど
患部の状態が良くなる。


これには相手を少し傷つける勇気が必要になる。
この勇気を出せるか否かが
大切に思っている証だと思う。


私の家は、
幼稚園から作文の教育に力を入れていた。

英会話でも作文をよくしたし、
日本語では作文に特化した通信教育を受講していた。

入会特典で貰える専用の原稿用紙があった。
2Bの鉛筆がスルスルと流れながらも、
厚みのある紙に少し引っかかる感覚が好きだった。

確か、自作のストーリーを書き作っていた。
ラストに差し掛かろうとした時点で、問題は起こった。

もう、その原稿用紙の残りがなかった。

完結しないまま燃やせるゴミになってしまった。


その時の私が書ける文章は、その時にしか存在できない。
賞味期限10秒のバナナジュースよりももっと速く、
酸化よりももっと恐ろしい忘却に入る。


今は、たくさんの原稿用紙があるのに書けない。

知識がない。根気がない。時間もない。才能がない。
そして何より、書きたいと思うことがない。


こうやって、
「私」という存在は少しずつ減価償却されていく。


一体私はどこへ向かうのだろう。

好きなものを好きなままでいられることが
どれだけ幸せか。

自分のものにしようとした瞬間に
形が変わってしまう。
好きだった頃のあの姿はそこにない。

私はこの体験にひどく寂しさを覚えている。
もう何も好きになりたくないし、
今あるものはお願いだから好きなままでいたい。


新大阪行きの新幹線は、もうすぐ名古屋駅を出る。


たとえ夢が叶っても、若くても、
貴重な体験ができても、
茨の道を歩くのは辛い。

この坂道を登り切ることがどれだけ難しいか。
途中で切れていたらどれだけ幸せだったか。

まだ辿り着かない目の前の道に、立ちくらみがする。

もう私は、登りたくない。
私にしかできないことはない。
好きなことをこれ以上、好きじゃなくなるのは
もう疲れた。


ただ、一つの言葉が私を引き留めている。


ただ、それだけでいい様な気もする。


生きてる意味は、きっと死ぬ時わかる。

サポートいただいたお金の使い道①野球観戦②メイク道具です!!もしいいなと思っていただければ!