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元沖縄移住者が幸せとはなにかを考えた【感想文】


「沖縄文化論」岡本太郎

沖縄に2年間移住した私がこの本を読んだ感想は、
「言葉に表現出来ない沖縄の良さをとても分かりやすく表現してる!!」
ということだ。

沖縄の友人と、沖縄の良さって、海とか空とか空気とか人とかそういう「これがあるから、いい」っていう感じじゃないよねと話したのを思い出した。なにがいい、と掴めないところが沖縄の魅力でいままでそれを言葉にしてこなかったのだが、岡本太郎氏がそれを言葉にしようとしているこの本を読んで、私も沖縄移住の経験を言葉にしてみたくなった。

私は22年間住んでいた千葉を出て、はじめて沖縄に1人旅をした。その後2年間の沖縄生活で
「私はどう生きればいいんだろう」
という人生で最も大きなテーマを沖縄で考えた

なんでも調べれば出るインターネット世代の私は、「人生 どう生きる」とGoogleで調べたりもした。

もちろんその答えは出るはずがなかった。

しかし、沖縄で出会ったひと括りでは言い表せない多様な人達の世界を体感するたびに、
人生は色々であるが、どんな人でも同じ目的の為に生きていると感じさせた。

それは、「幸せである」ということであるのだ。

そしてどのような年齢の人であっても、その「幸せである」という姿を確信づいて理解し、歩んでいる人はそこまで多くないように感じた。

それらの背景には、
資本主義や学歴主義、文化や慣習、承認欲求や社会的地位…
様々なコムズカシイことを考えるが故に、勝手に人生を複雑化して、自分の幸せとはなにか本当の答えにたどり着かないのでは無いかと思う。

それを認識したのは、
沖縄の人達の無駄のない「幸福を追求する姿勢」からだった。

食べること、遊ぶこと、仕事をすること、家族を大事にすること、土地を愛すること。
私が語るには大雑把すぎるかもしれないが、これらを大事にする沖縄の人達の生き生きとした人間らしい姿を見ると、幸せに包まれた生き方とは、こういう事なのだと考えさせられた。

しかし、その姿勢を尊敬する反面で、疑問を覚えた自分もいた。

それらの生き方を大事にすれば幸せになれるが、それでもなぜ人は多くのものを求め、必要以上のエネルギーを燃やして頑張り続ける人たちがいるのか。

その私なりの答えはこの本の「人頭税」に関する章を読んで見つけた。人頭税とは、琉球が薩摩の島津侯に征服された時の過酷な年貢のことだ。
その当時の琉球に住む人達は、過酷なノルマを強いられ、衣食住もままならず、それまでの幸福に浸ることができない生活を強いられた。
しかし、その中でせめてもの小さな幸福を見出すために踊りや歌ができた。そしてそれを実際に見た芸術家岡本太郎氏はそれらを気に入り、生命のハリと表現した。(岡本氏は沖縄の工芸品などには少し辛辣な評価をしていたのだが、それゆえにこの言葉は岡本氏の素直な表現で褒めているのだと感じた)

「良いモノを作る」
ここで言うモノは、踊りや歌といった無形のものから有形のものを指す。
そして良いというのは、人の心までを動かすほどのなにかのパワーを感じるということだ。
そしてその良いモノを作り出すには、自分の命を燃やすようなエネルギーの消費(=頑張り)が大事なのかもしれない。

そして人生を振り返った時に、それを生みだした瞬間のことを、辛くともキラキラと輝いた思い出となり、自分が幸せな人生を歩んだという確信たる証拠になるのかもしれない。

現代を生きる私たちにとって、コムズカシイことを理由にただ「頑張る」ことが美徳だと思い込まされている節があるように感じる。

しかし、我々には人頭税もなく、頑張らなくても生きていける環境下にいる。
沖縄に住む人達のように、幸せな生き方を選択することも可能だ。

しかしその幸せな状態だけでは、人の心を動かすほどの良いモノは作り出せない。
そして、それを持たないと自分の存在を自分で認められなくなることが問題なのである。

日々を幸せに過ごすために生きる、そしてそれらを心から認めるために、私たちはエネルギーを燃やし、頑張るのだと思った。

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