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クレオール _

ここ何年かで、私は情熱をすり減らし続けていた面があったような気がする。

ここ数日前、数ヶ月に一度訪れる生理前の具体的な沈み期がやってきた。

確実に 情熱や純粋さはすり減っていた。そして かっこつけて背伸びしてしまう所 _ この数年、何かを手放し磨くことと引き換えに 強めてしまっていたのだろう。

自分の知らなかった事を知った時、ずっと分からなかったことが分かった時、その瞬間に脳がすっきり晴れる感触や 喜びにより目の中が輝く感じとか。俯瞰できるようになる成長と同時に、感動は薄れ反応が乏しい人になっていく感覚も在った。

私って感情表現、こんなに下手くそだったっけ。素直さを失っている現実を目の当たりにして辛かった。

どんなに明確な夢や目標を持っていても、情熱や純粋さが無いから、行動は伴っていなかった。情けなさと共に 辛かった。

落ち込んでいたので、最低限の仕事と生活以外の時間は、ただ息をしているだけの存在になって、この沈み期での学びがやってくるのを待っていた。

実は、薄々気づいていた。大人になるにつれて、格好つける自分や目の輝きを失う自分に。この流れは行く所までは行く、止められない、早く折り返したい、でも私のできることは待って学ぶだけ。その時が来れば私は分かるはず。大切なことを学んでいるんだから。と、思うようにしていた。

今が その時かどうかは、過ぎてみて答えが出るだろう。

今はその時のはじまりじゃないかなぁと。この9月から、また新しいはじまりなんだなぁという感覚が在る。

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先日、会いたかった人たちに会えた。この日を挟む数日間は、なんか、不思議な時間だった。待ち焦がれていたから嬉しいはずなのに、感動よりも虚しさや悲しさみたいなのも 新しくつちかったセンスなども 混じっていたから、100%感動できない自分に疑問を持ちながら この混ざった感情の迷子感を感じていた。

まさに クレオール( =混ざる )が自分の中で起こっていたんだな。とおもう。

誰かの創り出したモノではなく、過去自分の周りに溢れていたモノや今自分の中を流れる 生々しいモノ達を私流に融合して 存在することへ。変革の時期だから、色々と忙しいんだと思う。

想像の世界のスピードが速すぎて、私の精神や能力が追いつかない感じ。とても忙しい。自分自身が分離してしまうと、それは本当に 虚しく意味のないことになってしまうから。

今まさに、回想してみる時間を持てて良かった。昨日まで私は そのぐるぐるした融合の中で、迷子になっていたんだと分かる。俯瞰を極めようと思った2019年の1月、本当に失ったモノは何もないことを体感している。

全てが安心感に変わり続ける流れも存在することを 私だけが知っている。

この人たちのエネルギーを吸収したくて足を運んだ。数日遅れて、届いてきてくれた。心から感謝を込めて、ありがとう。

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現実的に、本当の意味でいつも今を俯瞰し、凛としなやかに揺れ動けるようなっていく流れの中にいれば満足。

その裏で、目に見えるものではない、心に在る目で 魂の形や光や色や音が磨かれていくのを見れれば幸福と感じている。そこに重きを置いて生きていくことで、どう現実が変化するのかを楽しむこと。_ それが 今私が一番知っている自由。ゆっくり進もうと肩の力が やっと抜けた。よかった。



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