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脳 _

伝えられ方や、伝え方に意識が向いている。昔から今まで、人の教えにはどうしても納得がいかないことが多くあったから。

また悪い癖で、私の理解力や柔軟性が乏しいんだと 自己否定をし始めてしまっていた。それは半分はあるかもしれないんだと 認めた上で、そんな私でも効率的に学べ 伝えれる技を手に入れる必要性に、今は重きを置いている。

学ぶとは、どういうことなのか。

先にある 私の思う美学に向かっているから、そのへんに溢れる学習には あまり期待をしていない。もっと、平和で合理的な学びがあるはずだと思っているので。

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人は伝えられた時、右脳と左脳のある大脳を使う。左脳は理論的、右脳は感覚的というそれぞれにとても素晴らしい資質があるので、両方を生かすように情報を与え学習へ導くことが 美しい伝え方、伝えられ方に繋がる。

脳を混乱させないように、相手の段階を見極めて 分割して情報を与える。その情報や知識は とても単純化させておくことが大切。_ 本当は 恥ずかしくなんか、なかった。めちゃくちゃ単純なことを、ひとつひとつ理解していくことは、大きな何かにしっかりとした根を張り 繋がるのです。

まずは 左脳へ単純化した知識・情報を与える。 理解したら体を使って実践しながら、イメージを与えつつ自分流のイメージを生み出してもらう。そこで同時に、右脳と左脳の繋がる癖を身につけていく。

右脳と左脳が繋がった体の動きやバランスを手に入れはじめたら、次の段階にあたる知識や情報を与える。理解したら、はじめに学んだことも含めて、右脳でイメージをしながら実践練習を繰り返す。その運動イメージは、左脳による理論が組み込まれ とても美しさを感じる。_ 私の美学はここに在るんだと思う。

そうゆうことが " 伝える " の裏側に在るように、私は私を内観していたいと思ったのです。とてもいい学びを得た日でした。

脳卒中を患った人たちに対して、機能回復のためのリハビリに熱中していた何年か前。その時から 言語にはまだ熟さないところまで、このことを 理解していたんだと気づく。

たくさんのノイズが 取り除かれていくにつれて、言葉へと熟し 理解が深まる。

これも、ひとつひとつ単純なことをクリアーしていっている過程なんだと、ほっとする。過去の人への施しに対して情けなさを感じ続ける。その思いも 尊いもの、そして原動力なんだと 理解が変わる。

脳が好きなんだな、体が好きなんだな、馬が好きなんだな。やっぱり、私の天職は 今世では理学療法士なんだなという感触を また深く感じるのでした。

中途半端なものを伝えたくないと 強く思う癖を 嫌いになることがよくありました。けどそれは、ただその分、同じような表現をしている人と あえて比べるとしたら 色々なタイミングが遅くなるだけなのです。あえて比べなければ、いつも私はもっと私らしく在り続けれるし 私の人生の波に乗れて 健やかで豊かで居られる。その方が幸せなのです。

誰かに何かを伝えることが正しいこと。だなんて、全く 思っていない。自分の思っている能力を越えていくことを楽しんでいる中で、救いたいと助けたいと思えた人たちが現れ 救い上げる助けができれば 満足だ。その自然な流れの中に いつも身を置き、大好きな理学療法士として在れれば満足だと思った。

人として生きるという 色々な意味で、それが私のとても合理的な着地点だと理解している。形として豊かさが生まれるときを信じて、あえて自分のセンターは凛とぶらさないのです。

埋もれないように 生きなさいというメッセージが、昔から今まで自分の中で流れているような気がする。

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