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発散 _

毎日、毎日、世間では表面的にとても残酷で悲しくなる情報に溢れている。

現実世界では問題が山積み。目の前に存在する馬たち、家族、お仕事の場で出会う人たちの問題を私は私なりに、精神世界もふまえて根本的に、客観的に捉えることが、一番問題解決に繋がる。私はそう信じていて、目の前に現れる問題の解決のためにと、思考したり、共感したり、行動したりしているのだけれども。

それがどうも、現代には合わず、マッチしない感覚を得る瞬間が多くあって。一生懸命、真摯になって考えるほど、悲しくなり、嘆きたくなり、怒りのような感情と共に途方にくれる。諦め雑な感情を抱き、雑な反応や無反応をしてしまうことへの罪悪感を背負ったり。それらをまとめたとてもモヤモヤした感情を俯瞰しつつ、今どこへこのモヤモヤを向けたらよいのか、この自分自身でもって、どのように人と関わればよいのか、、なんてことを頭でグルグルとただ回していた。

いつか若い頃に統合失調症に片足突っ込んだ時と同じ精神状態パターン。今日はある意味そのピークがやってきた日だった。

本当に本当にモヤモヤがピークにきたみたいで、ついに今日自分のスタジオで大音量でギター弾きながら歌い、太鼓を鬼のように叩き上げてやった。そしてあと一絞りを、スケボーで何度も往復しながら発散。

ものをぐしゃぐしゃに壊したくなったり、人を傷つけたくなる感情が湧き出ていた。これは危ない、今の私がそれを実行してしまうと、本当に危ない。どうにかしなければと本気で昨日今日と考えていた。

よかった。

だから、楽器もスケボーも、時には発散に使ってみてもよいんじゃないかと。自分が自分の信じた考え方や価値観、未来を突き進むために扱ってしまえばいいよね。と、私なりに単純さを取り戻す夕方でした。

楽器を発散するために扱うこと、それは神経質の自分から見れば許し難い行動でもあった。が、これからはそれらをやり上げて、許そう。っと思った夕方でした。

雑だったとしても、楽器を触る時間が増えることの恩恵は、とても将来性があることなのだから。発散しながら心地よい音を奏で、心地よい感情に戻るようになれれば最高ではないか^^そんな中でこそ、自分の音を見つけられるのではないかと、今ここにきてそう思える。

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木蓮のお花は、咲いて散っていった。ここからは葉っぱの芽吹く姿を見ることができるんだなぁとそれはそれでワクワクする。

自分の頑固を再発見しつつ、解いていくような日々を、芽吹く葉共に過ごそうと思っているところ。

そして、

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大切なだいちゃんが病気になって、4日目。母と父と共に、初めて馬の疝痛という病気を看病した。現在状態回復傾向であります。^^

何十年も馬と共に生きてきた2人の経験は、さすがだと思う反面、不足している面をまた目の当たりにしなければならなかった。馬を扱うこと、馬に乗ることとも繋がるが、やはり理学療法的観点は、馬の健康・人間の健康を保つために、色々な意味でものすごく大切だと、理論的に認識している。ここでもそう、馬の問題も人間の問題も解決すると、私は単純に思いやりをもって言いたい伝えたいことも、やはり現代に、今まさに両親にとってはそうはいかない。そうやってまた、今じゃないだけだと納得しつつ、納得できずモヤモヤしていた数日。馬と家族を通して、溜め込む時間を過ごしていた。

現実的に、私の入る隙間は、今、少ししかないのが現状なのです。だから両親に対して、私にできることをバランスをよくよく考えながらやっていくことを大切にしようと思い直すのでした。身を引く、我を出さず、身を引く、。私が今両親の健康や心を害さず、心地の良いものを還元していくために必要なことであり、それは同時に私の精神を磨くことにもなるのです。

そして今、どこにいても私の心は傷つくので、やはり早く環境変化のタイミング、こないかなあ。と、耐えるほか、次に向けて準備を楽しむしかないのです。私の2020年、そんな暗く孤独な部分も抱えながら、次がやってくるのを耐えながら進もう。と密かに、また自分への情けなさ共に受け止めるのでした。

日常的に、もっと創造的な会話を楽しみたい。決して他人のせいにせず、まだ閉ざしている自分自身の心と向き合いながら日々過ごそうと思います。






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