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オステオパシー _

昨晩は久しぶりに、youtubeにて

前世療法で眠りについた。

インカ帝国の女の子だった自分をみたときほど

明確ではなかったけれど、

今回みた私の前世のひとつは

全身茶色のスーツ・茶色の革靴で

本棚だらけの部屋にいた男の人、

おそらく文学か、哲学をしている 書く人。

なんとなく服装や住んでいるところ的に

イギリス人。

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前世については それくらい

noteに残しておく。あとはじっくり

日々、我が人生との関連に気づくのみ。

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今日はベトナム人の友達と

自然食を食べに行ったりなんかして。♪

お互いに 日本語・英語のできなささに

失望しつつも良い刺激になったりで。

よい時間を過ごした。

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今晩noteをひらいたのは、

主に今の自分の体について残しておきたいため。

春分を目前に 自分自身のために

書くことをしておかなければ、と。

まだ言葉まで熟してないけれど それでいい

今ありのままで 言葉にしておこうと。

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2日前、3.12の金曜日

思いがけず " 人を治すことのできる施術者 "

に出会った。

オステオパシーとカイロプラティックを使いこなして

的確に人間の姿勢の歪みを捉えて

的確にその歪みを整えてしまう人。

私は若い頃から、体に問題を抱えている方で

それに気づかず理学療法士になってからも

どんどん重たい荷物を自ら背負って

悪気なく それらを複雑にしてきた。

気づいたらどんどん心まで重たくなっていて

去年の6月にはパニック障害を発症して

10年の統合失調症・躁鬱病に終止符が見え始めつつも

体も心も、かなりこじらせていた。

母親が見つけてきたオステオパシーのおじさん。

ここ最近、姿勢の歪みが慢性化して

もう自分ではどうにもできない部分を発見し

見たくない知りたくない、認めたくないけど

『私の体は結構悪い』と気づいていた。

自分でも気づかない心のどこかで意固地になって

痛みや辛さを耐えながら動いていくことで

少しずつ治っていくんだ。と

仕方なく、八方塞がり状態で

大嫌いな力技的に、日々体をすり減らしていた。

なぜなら、

これまでそう思って他人を頼っても、

満足し安心して身を委ねれる人、つまり

根本的に骨や関節の歪みを治せる人に

出会ってきてなかったので、実際に

そんな過去の体験でもう諦めていた部分もあったから。

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先生の施術を受けて、

アプローチしたところの歪みは

確実に戻ってきているのは

セルフでの歪みに対する内観は人一倍してきたので

( 深部感覚は過敏なほど発達しているもので )

よくよくわかった。

過去の体験が骨・関節の歪みとして

刻まれていくのが人間なのだ。

私は、よく落下する子供だった。

屋根から落ちた時はトンビ座りで思いっきり落下して

息ができなくなったほどだった。

つまり仙骨から頭蓋骨まで

かなり大きな衝撃が加わった。

それが科学的にどのような影響があったのかは

今のわたしには感覚的にしか分からない。

その大きな落下が後の不調の引き金になった。

左膝の棚障害(滑膜ひだ障害)は、

腰痛より前に発症してて

中学生の時とても苦労した。

ソフトテニスをしている時、何度も何度も

左足首を捻挫していた記憶が蘇った。

この半年以内のコンクリート上での落馬による

仙骨の骨折も、今の状態にかなり大きく

影響を与えていた。

それによる右の深いところの腰痛は

今のわたしにはどうにもできない傷であり

内臓が痛みを発してるがゆえに

根本的に 歪みを 正しい順番で

治してもらうことを体は望んでいた。

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小さなことから大きなことまで すべて

人間の骨・関節に影響を与えている。という

当たり前のことを 意外と人は

軽くあしらうように認識せず

そのまま不的確に体を扱ってしまうものなのだ。

見直さなければ。と厳かに強く思う

今日この頃であります。

でも、どこから見直せばよいのか、

今のわたしにははっきりと分からない。

今、決めるタイミングではないのだ。

だからとりあえず、

先生のところへ通い

全身の力を抜いて委ねる。

そして体の反応を的確に感じて、

的確な言葉で先生へテンポよく伝える。

先生が『もうなおった。一旦おわり。』と

言ってくれるまで やってみることにした。

体の歪みを整えてもらうと

あとは自然治癒力が高まっていく、

そのエネルギーに体と心から出る意思を

それぞれ汲み取ってあげて

身を委ねた『選択と行動』をすればよいのだから。

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殻を破る日がくるとは。

思いがけないタイミングで、

"自分の体は自分でしか治せないのだ" と、

頑固に持って離せずにいたことを

こんなに軽々と手放せるとは。

だって、

それでいると とにかく苦しい。

そして、なによりも

私がこれから理学療法士として独立していく時

他人に対してのアプローチにおける軸が

ぐらぐらになってしまうのだから。

つまり、

"人は人が治すものだ" と本質的に確信できて

本当に人の体や心を健やかな方へ導けるのだと

今回の体験で、私はよくよく考え直すことができたのです。

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改めて、

noteで体のことを書かなければ。と

昨晩直感したのは

この1週間の他人との関わりの中で得た

新しい目標に向けて、

今私にとって1番手放すべきことを

明晰に認識するためだったのか。と、

幸せな気持ちになっている。

苦しいけど、ありがたい。

必要な学びを得ているのだから。

この一年は苦しくてもいい。

自分の信じている方向性・ビジョンだけは

揺るがせず、毎晩そこに向けて眠るだけで

人生の展開はそこに沿った

間違いのない完璧な出来事を与えてくれるものだから。^^





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