休息時間 _
腰が良くなった◎. _ と思っていたそばで、体をたくさん使い過ぎ 以前のような痛み 再発。まさか、このくらいで また元通りになってしまうとは _ 予想以上だった。まだまだ、体に対する理解と思いやりが足りていない。また、休息時間に突入した。
車の運転も痛くなくなり始めていたし、しびれもなくなり始めていた。こう体が動けるようになったので、以前の苦しみと反省を忘れ 好きなように動くということは 体に対して とても犠牲的な行為だった。
以前のように、横になっても仙腸関節やヘルニアの痛みがある状態。姿勢や動作における " 癖 " を修正していくことは、一ヶ月間の中で揺れ動く身体の波を考慮すると そんなに簡単なことではない。
体を再建することは 難しい。_ このことを、自分自身に もっと 染み込ませておきたいと思う。
その先に 中途半端なものを生み出して 他人へ共有したくない。そして、なによりも 自分が自分に嘘をついて生きている状態になるのが 本当に嫌だから。今回のことから、また自分の弱さ( 外側への依存 ) を見つけた。
一ヶ月の中で 体が軽く 心も軽やかで前を向いている時こそ、自然に無意識に生じている心と体の動きを 観察する必要があるように思う。私は結構、調子にのって 体の声を無視してしまっていると思う。_ そして、" 代償 " というものは 後でやってくる。それがまさに 今なのだから。
この1年間で私が本当にしたいことは 体の再建。目的は、体を再建することのみ。この 大切な目的意識が、体の調子が良くなるにつれて 忘れ ズレはじめていたこと。そこに 深く反省している。
この目的に向かっている過程の延長として 自然に波形してくる人や場との縁、ビジネススタイル。焦りや不安で 目的意識がズレてしまうと、私のイメージしている " 表現 " とは全く違うものになる。そう確信しているので、この反省の時期は とても大切。またひとつ 痛みから学びを得た。
捉え間違えてはいけないことが ひとつある。_ それは、この " 増悪と軽快の連鎖 " を ただの増悪として捉えないこと。この連鎖は 未来に向かって続いている過程なので、丁寧に捉えることで生かされる。
現実的に 私の体は、連鎖的に2つの波が絡み生かし合うように変化している。今まで力むことで姿勢や動きをサポートしていた筋肉が緩むことで、新しく ある筋肉が程よく力むことが必要になる。この変化の中で " 癖 " も少しずつ変化する。それに伴い 腰に負担がかかりすぎている 不調和な筋肉の協調性( 使い方 ) から、少しずつ離脱していく。今私の体はちゃんと、その再建の過程に居る。だからこそ、今回の痛みによる休息時間を 以前と全く同じように捉え 同じように過ごしてしまわないように、繊細に自分の体を内観する。
そういえば昨日、友達と電話で話したことを思い出す。体って、緩んでるところと力んでいるところ、もしくは 流れているところと滞っているところ、開いているところと閉じているところ、_ そんな色々な言葉で表現される2つの波が 連鎖するように バランスをとっている。じっくりと 体を内観し、この2つの波を体感的に分かりたいと思う。
痛みが減っていった時、痛みをもっと繊細に感じたかったなぁ。と惜しい気持ちに、何度かなったことを思い出した。その尊い痛みは まだ体の中に残っていて、またやってきてくれんだと 愛おしい気持ちにもなれる。この痛みを解明するチャンスを、大切にする。この時間を丁寧に過ごす。
また、この " 代償 " は、ある意味 今までの前世や先祖も含めた私の人生における " 痛み " でもあると思っている。だから大切に、浄化してあげたいと思う。
これは 長くて深い時間が必要になる。そう思った。そんな 二度目の休息時間。この1年は、やっぱり、自分の深い深い内側から〜 足元くらいまでを丁寧に見つめるスタイルで ただ生存するくらいの意識を大切にしたい。そう思った。それは、ある意味では 苦行のようで、ある意味では 楽園のようだなと思う。
自分自身( 魂 心 脳 体 ) が、こう繊細で在るので 私はもう他の道にそれることは できないようなものだなと思う。仕方ないようで、当たり前であり、求めていたことなんだと理解している。
こうやって 言葉を残すことの先に、私の体理論が構築され じぶんの求めている表現が在ると信じている。同時に 自分の求める 自分の " 在り方 " へ到達することも、信じている。そのために私はnoteをはじめた。
言葉にする上で密かに、人に伝わりやすい言葉になっているか確認するが、それは今誰かに伝えたいことがあるためではない。" 人に伝わりやすい言葉にするため " という目的意識を持っていることで、言葉が自分自身を知るために生かされる。そして、ついでに未来の表現に生かされていくものだと理解している。
そうゆうスタイルで " 言葉 " を捉えていることを、ただ 大切にしている。
また 痛みを感じながら ベットに横たわり 揺れる山の緑を見ている。そんなふうに、ただ存在する自分になれる時間が在る_ さまざまなことに感謝をして、二回目の休息時間を過ごすことにする。
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