孤独 _
あじさいの季節がきた。梅雨はどんよりしていて 好きだと思ったことはまだない。秋冬を年々好きになっていったように、梅雨も年々 好きになってきているような気がする。
かなり 精神的にまいっていた。復活。たくさん泣いて 浄化できた。そういえば、こんなことあったな、10年前くらいに。高校生の時、ヘルニアになって 大好きなソフトテニスを引退試合目前にして辞めた。リハビリに通う生活をした後、復帰した。_ そんな日々が在った。その時みたいな泣き様だった。そのおかげで理学療法士になれた。
そうそれで、MRIをとって確認しよう。と思って、その時通ったクリニックへ 車はよくないから 電車で行ってみた。
やっぱり、腰椎椎間板ヘルニアになっていた。人のもっている深部感覚って素晴らしくて、内観して確信していた。お金はかかったけど、画像を見て すっきり。医者の対応範囲にも ある意味すっきり。
クリニックの川を挟んだところに 広島1美味しいケーキ屋さんだと思っている素晴らしいお店が、そーいえば在った。ケーキのセンスも紅茶のセンスも抜群。梅雨の空気感を感じながら テラス席で心の整理ができた。
素晴らしい本との出会いもあり。
" 時間が浸みる "
そんな言葉にも出会えた。この藤森さんという方は、特に " 視覚 " に立体感が在る人で その生を 建築家として表現している。この時代に 自分のスタイルを築いて たくさんの建造物を0から生み造った人だからこそ言える言葉だと思った。いい言葉に出会えたおかげで、時間の浸みたものを見て感じる遊びをひとつ 手に入れれた。
_ 私の人生 この一生を そそぐ場は実家ではなく、ほかに在ると思っている。永住する場を 密かに探している。私は水に敏感だから 水を大切にしようと素人ながら思っていたりした。藤森さんは、まず火を大切にしてきていて、この場をつくった時に水の大切さを再確認したらしい。立体的な視点で建造物をつくってきた人が 水の大切さを思い直した表現の場。そのエネルギーと 新しい視点を吸い込みに いつかこの場に行ってみたい。生きる希望をもらった。
痛みの悪化にともなって、自信を失って 自己否定の時間を過ごしていた。とても厳しい時間だった。過ぎてしまえばいつも、今が一番厳しいように感じるもので。高校生のあの日々も過ぎれば 懐かしいなと少しにやにやするようなものになった。全てが終わったからこそ 懐かしい感覚って存在するんだなと。
去年 集中豪雨で被災した自転車置き場。目の前には土や砂がたまりあげた自転車置き場があるから 汗と泥でぐちゃぐちゃになりながら はじめましての人たちと共に どける。ただそれだけだった。_ この思い出( 時間 ) も懐かしいって思った。視覚から教わることは たくさん在るなと 藤森さんのエネルギーをもらい つながる。
昔よく通ったこの橋。なぜか写真を撮っていた。これを見て、懐かしい とにやにやできなかった。今見ても なんとゆうか、哀れな気持ちになる。この橋 よくお世話になったのに 可哀想だなぁ、よくがんばったなぁとそんな気持ちになる。じゃあ私がどうにかできるか。できない、それが現実なんだと思っている。私的には 人工物が破壊された姿は心傷むから 視覚的に無駄な状態だと思う。心に届き自分の温度が1度下がる。この問題が 起こらないような土台へ じぶんの世界は少しずつ 変えておきたい。便利さも程々に。
視覚から入る刺激に意識を向けれた よい日を過ごせた。外に出ていってみて よかった。
やっぱり 昔読んだ作品を手にとってしまう。アルゼンチンババアの世界観も 変わらず美しかった。昔から アルゼンチンババアの故郷の家が浮かんだイメージが 私がいつか住む家のイメージと同じだった。今も変わらず 同じだったことを確認して また何かが立体的に繋がる感覚を ただ 感じた。
ヘルニアが発症したという明確な事実は 私をすっきりさせた。また腰椎の4番目と5番目の間から ひょっこり飛び出した椎間板。それに 愛おしさを感じていた。
高校生の時に先生に見せられたCTか MRIの画像が思い起こされる。あの時より軽度だなと思った。でも、明らかに痛みは強く 前にかがめないので 生活が制限されている。それは どういうことなのか。色々なことが繋がり 今の私にはわかる感覚が在る。
自信を失った日々が 取り戻してくれた自信が在る。思いのほか逆転することも、これから在るだろうけども、やっぱり私の体は私がなおす。それが答えだった。
この軸がぶれないように。また 着実な日々を過ごし夢を叶えるために 体が教えてきてくれている。
だからこそだろう。自分をもっと孤独へ いざないたいと思っている自分がいる。それを体が 痛みを通してそうさせてくれている。孤独の道へ がしがし歩いてみる。
今日も あらゆる姿勢で 、椎間板はひょっこりと後ろに出てきて神経を刺激し 守るために支える筋肉達は疲労して炎症する。見過ごして 普通の生活をするか、見守るために脱力しておくか。手助けになる程度のボディワークをするか。病院でもらった痛み止めと湿布を実験してみるか。選ぶのはいつも自分で、体の声に従えば自由。その先に未来が在るんだなと思っている。
本当の私自身全体を立体的に見ることができるのは、私しかいないからな。強く根付くための日々を過ごしている。外は雨 心は潔く 軽やかになった。
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