見出し画像

風ヾ _

土用の前半も風のように通り過ぎていき、1月が終わるごろに。体調には若干気をつけて動いていたおかげもあり調子を保っている。日々流れるエネルギーが変わる。前回の記事を読み直し、言葉を残しておこうという気分に切り替わった。

大きな流れとして、2019年までと2020年から〜で生きる姿勢が変わった。この新しい感触に馴染んでいくために 土用前半は少し苦しかったような気がする。そんな中でも俯瞰し新しい瞬間から小さな大切なことを学んで進むことができている。過ぎて実感した今、自己満足。

画像1

_ 1回目。

画像2

_ 2回目。

ちゃっかり開運日とゆわれる2日ぴったりに、しっかりと荒らされた。見た瞬間はむかついたけど、一旦片付けてしまうと諦めがつきすっきりし、感謝の気持ちなんかもうまれる。そんな中、猪肉を買いに行き、美味しい美味しいと食べたりした。

画像3

猪の目的は結局、蔵とトラックの間にある道を通り自宅の庭へ侵入するためだった。そんなことに気付かずに、私は通り道をあけてあげてどーぞともゆっているようなマヌケな行動をしていた。庭をぐしゃぐしゃにされる前に気づいてギリギリセーフ。

まだ掘るのに夢中らしいので、しばらく様子をみておくことに。こんな猪との日々も嫌でない。明日はスジ肉と隣の家のレンコンでカレーをつくりはじめる。

画像4

_ 新月に、パン屋さんへ向かっている時に遭遇。9は終わりであり始まりを意味するイメージで、見たとき心地よく背中をおされた。思いやりや俯瞰する力が未熟な他人の言葉を聞くよりも、ふとした瞬間の数字や自然や音に心躍らされていたい。

画像5

画像6

家族が全員、久しぶりにそろった。

言葉にならない気持ちになる出来事や問題、そんなことが増えてきたような気がするのは 自分自身のみる力が養われ成熟してきたからか。どこかのタイミングでそれらはもう始まっていたのか。問題とあえて呼ぶが表面的にはおめでたいこと、また実際は単に経験や過去となる行動や時間である。まちがいなく半分は、日々じぶんやみんなの心を穏やかにしていくために起こる事になるのだろう。そう思い、願いを込めて、流れの中に身をおく。家族という繋がりをあっとゆうまにぐしゃぐしゃにしてしまわぬようにも、私は日々の中で穏やかさを養い続けるのみ。

画像7

他人のことなんぞ気にかけず生きていくように 私は変化してきている。わたしは元々、気にかけすぎるから。その労力がある意味では、自分自身を縛っていた部分もあった。今はただただ、開放に向かう日々であります。

変化する自分自身を見つめる。そんな2月で、よいんじゃないか。と2月を前にそう思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?