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静けさ _

その時々で 聴く音楽が変わる。厳密には、聴けるかどうか。精神の波に従って聴覚がとても敏感に作用してくる。聴覚を通しての意思には敵わないので、より もっと静けさのある音楽を求める。そして真夜中をも邪魔しない音に出会う。

精神の波を感じることを今は重要視しているので、精神が落ち込み傾向の時に何にもできなくなったって構わない。害が自分だけに及ぶのであれば、それは私が望んで ここ数年この生活スタイルにあえてしているのだから。長らく、私はそうしてきた。

現実的な課題があっても それは無視をして、静けさに合ったことをする。それが欲望や恐怖で支配された精神であったとしても、今それらが自分の中を通っている理由を知りたいから。長らく、私はそうしてきたのです。

最近は少し鬱気味だった。人それぞれ持っている鬱気味は 大小色々なパターンがあるかと思うので、私は病的なモノだとあまり特別視はしていない。だから " 鬱 " という言葉を使う。

最近観た邦画で躁鬱病の人が出てきて、私が統合失調症に片足突っ込んでいた当時の状態と とてもよく重なった。あの感じ、懐かしく感じる感触がトラウマ的でなく、なんか心地よかった。

私は私からは絶対に逃げれないから、生きているだけで たまらなく苦しい思いになる。そこからは解放されたようで、そーゆう落ち込み方をするパターンが全くなくなったわけではない。そのことに気づかされて、ほっとしたんだと思う。一生つきまとうものを、無いものだと錯覚させることの方がしんどいことへと変わったから。

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しかし、揺れる精神を見つめる日々は、半分は自分に振り回されていることでもある。長らく重要視してきた事から、得るものを積み上げてきたので そろそろ次のステップに行きたい気持ちが高ぶる。なんだけど人間、そう簡単に切り替えることは 簡単じゃあないみたいです。

この切り替えるのに 往生している。

もう精神はいいから、行動をしたい。

得れるものは 吸収した。

そして、来年の6月からはワーホリ期間へ移行しようと思っている。満31歳までのスペシャル期間を 自分自身にたっぷり注ごうと思う。" ギリホリ " と命名されているらしい。

念願の 念願のタイミングがやっと来たのだ。

切り替え期間とかゆって、もう言い訳にしかならないようになってきている。私の精神も折り返し それなりに飽和状態。今までのパターンから 変わるために 策をうっていかなければ ならないんだな。喝を入れなければ ならないんだな。と、夜覚醒して思っているところ。

もがこう。って思う。

かっこ悪さを全面に出して、人目なんて気にせず、自分自身に集中していこう。と。

孤独の中で息をしてみて、以前よりも静けさが好きになった。静けさから折り返すことよりも、もっとディープな静けさを知りたいと思っている。

ストイックでもなく、緩みすぎているわけでもない、ちょうどよいバランスを求めつつ _ 静けさの中で行動していこうと思う。



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