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陽 _

夏至が過ぎて 今。

うつの好転反応、パニック障害。を乗り越えているところ。今の私はとにかく日々、うじうじしている。

28歳の春〜夏は、こんなかんじ。

この一瞬の輝きを、残しておきたいとやっと思えたので、久しぶりにnoteを開いた。

ネガティブもポジティブも私だから。

受け入れるためにも、進んで自由になるためにも、終わらせて新しく生まれ変わるために。7月は私にとって自分との戦い月*

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うじうじしながら、人間の持っている精神という分野の奥底まで見せてもらっている。今までの人生である意味 一番辛い。まあきっと、いつも今が、一番辛く感じちゃったりするのだろうけども。

私が絵でも描けたら。また、曲でも作れたら、今よりだいぶ楽だろうなぁ。と、思ってしまう癖がある。それは、他人と自分の境目が曖昧になっているということ。またそれによって、わたしの得意な性質に目を向ける余裕がなくなっているということ。絵だって、点描なら描けるし。曲はまだ作らないけれど、楽器ブロックを持ちながらもギターで歌をうたえるのだから。

なんてったって、この時期、つまり人生の大きな転換期だから、現状は現状を保とうとする力が強くなるものだから、厄介。

ほんとーに強く、これまで28年蓄積した自己否定の波が溢れて、私の目の前で通せん坊する。通せん坊の力に負けそうになるから、いつもうじうじしている。

つまりは、その通せん坊って自分自身。自分の過去を辿り思い出すことで、自分自身が自分を通せん坊している体験を、傷を、痛みを認識している。気づけば、そんな日々を過ごしていた。ついつい私は、すぐさま現実的にどうしたらよいのかを考えてがんじがらめになってしまっていたので、今それは後回しにする。だって今やるべきことは断捨離と整理することだとわかっているのだから。

過去を清算することは精神的な意味での断捨離なのだから。

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大きなパニック発作を起こすことはなくなった。その代わりに、過去を思い出すたびに少しの涙を流すことがある。小さく深い断捨離が起きているのだと認識している。見過ごしそうなくらい遠い記憶に、色や音を重ねていたけれど、そうやって蓋をしたものが、体と心・人生に影響を与えるようになってしまったものだから、仕方がない。_ 見るべきものは見てバイバイするだけである。

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もちろん、大きな過呼吸が現れる時、きっかけになる出来事や原因はとにかく明確であり、その都度私は学びました。

『自分の人生の責任は100%自分がとる』

という軸を持って。割り切るって感じ。

そしてその都度、個体で存在している感触に少し寂しさをおぼえつつ、軽くなった体でこの人生で何ができるだろう?と、ある意味自由になる。

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この月曜日、新入りがやってきた。

名前は " 陽 "   ようちゃん。

猫は、人間の寂しさの穴を少し埋めてくれる動物だと認識している。昔からわたしは、猫と日向ぼっこをしている赤ちゃんだった。だから猫と繋がる術を知っている。大人になっても、その術を使えることに気づかされた。やってきてくれた小さな命から得られた気づきは大きかった。*

以上。

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