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根 _

昨日は 観葉植物をすべて 植え替えきった。今まで 難しそうと勝手に決めつけて 植え替えに挑戦しなかった。_ ということは、じぶんの根を じぶんじしんがちゃんと見てあげてなかったんだな。と やりながら感じた。

根の成長をよく観察すると、なんかすごく悲しくなるくらい、哀れな気持ちになるくらい、じぶんの色々と向き合えるな。と思ったりしていて 。

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根が大きくなって詰まりすぎているパターン。逆に根が全く伸びてないパターン。伸びてるんだけど 先の方は栄養不足な感じの見た目で腐りかけてるパターン。_ 色々だった。色々吸ってくれていたんだな。ありがとう。と健気な植物が尊い存在に変わった。

日常の中で 予想外に自分の泥に手をつっこむようなことが 心の中では起きたりする。そうゆうの 結構 もう楽しめるくらいになってきた。自己満足。万歳。

植物は喋らないから 、むしろ喋らないおかげで 感性や心みたいなもので会話ができる。ということは 大抵の人は難しいと思います。

が、私はどちらかといえば、感性が豊かな方みたいなので 本当( 裸んぼの自分 ) は、植物と向き合うことは向いているかのかもしれない。と 思い直すことにしました。

動物も そういえば、言葉はない。でも何を伝えてきているのか分かるし、それぞれの性格の違いも分かる。_ 思い直してみると、対:人より 対:馬との会話の方が面白い。

野生発生的な骨組みや 土壌を基礎に話が進むから、とてもシンプルだし 心地いい。個として自立しているのが前提にある方が 健やかだと思う。だからやっぱり、言葉を必要としない植物や動物との会話は面白い。同時に 自分のためになる会話がしたい。そしてできるような自分で在りたいと思った。

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植木鉢は とりあえず実家の物置場から発掘されたもの。もがいて色を塗ったり絵を描いたりして 自分のエネルギーを鉢に注いでみる。もっと太陽があたる環境で育ててあげたい。と、こうなると、色々とこだわりたくなる。だからこそ、まだまだだな。と思う。そういう自己否定は、確実に原動力になる。自己否定自体を否定しないことだな。と思った。

とりあえず 土の実験も続くので なんでもいいと割り切る。発掘された植木鉢から、ナメクジが通った形跡か何かが、うまいことアートな雰囲気になってしまったものがあった。_ 欲張らず その一瞬しかない奇跡みたいな出会いをちゃんと見届けたい。植木鉢に関して 楽しみは小分けにしておこう。と思い直した。

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最高に魅力のある植木鉢と出会える瞬間が、これからの人生でやってくるだろうから、楽しみにして待っておこうと思う。


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また実家の工具場から 使ってないボロボロの必需品的な工具を持ち出して、使い直せないかなあとヤスリで磨いてみた。_ 使えるものがあれば 新しく買い直す必要性はないし、買ったことと比べると稼いだこととおんなじなので、がんばってみようと手をつけた。物を大事に扱うことは 健やかさの第一歩だと思っている。

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とりあえず 自分の物置スペースと休憩場つくっておいた。またこれから構想する。

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