原宿に行ったことがない。

私は、原宿に行ったことがない。

正しくは、学生時代に原宿に行ったことがない。初めて行ったのは25歳の時である。それまで原宿に行ったことがなかったのだ。神奈川県で生活していたから、保護者同伴ではあるが、小学生中学年から渋谷に遊びに行ったという子はチラホラいた。交通の便は良いため、1時間もあれば東京のどこへでも行けた。友達がいなかったわけではない。人並には友達もいたけれど、小中学生の時には行く機会がなく、高校生になった。

高校生になると、より行動範囲も広がりアルバイト等をして金銭的に余裕もあるため、長期休みや短縮授業で早く学校が終わった時には、原宿やディズニーや渋谷に遊びに行っている子が多かった。学校帰りに原宿に行く子もいた。食べたクレープの写真やプリクラをSNSに載せていた。彼女たちを心の底から羨ましいと思っていた。

私も高校生になった。それでも私は原宿に行けなかった。

高校生になっても行けなかったのには以下の理由があると思う。

まず、アルバイトをしておらず金銭的な余裕が無かった。通っていた高校は校則で基本的にはアルバイト禁止の学校であった。しかし、家庭の諸事情等の理由でアルバイトが必要と保護者に一筆もらい、生活指導担当の教師と簡単な面談をすればアルバイトの許可は下りるし、申請せずにアルバイトをしている子もおり、そこは大きな問題ではなかった。

両親が離婚し、母が働いていたため、帰りが22時頃になることがほとんどだった。中学生のころから帰宅後に、洗濯物の片づけ、風呂の準備、夕食作りと片付けは私の仕事とされていた。高校生になってもそれは変わらず、帰宅後に家の事をやらねばならなかったため、友達と遊びに行くことはなかった。アルバイトをしてしまうと夕食を作る人がいない、当時中学生の弟が夕食が遅くなると困るとの理由から家庭内でのルールによりアルバイトは禁止であった。

その代わりに、お小遣い制度にして欲しいと提案したこともあったが、金銭の使用用途を記入し毎月提出するよう言われ、何かやましいものを購入するわけではないが、購入したものを否定されるのではないかと怖くなり拒否したため、お小遣い制度は実現しなかった。

お年玉や誕生日に親戚から現金をもらうことはあったが、せいぜい2万円程でそのお金だけで頻繁に遊びに行くことは金銭的に難しかった。

当時、金銭的に余裕がないことを友人に知られるのも恥ずかしいと思っていた。今思い返せば、「ごめんお金ないんだ。」と言ったところで彼女たちはそんなことを気にするとの思えないが自分のプライドがそれを許せなかった。「原宿に行こう」「ディズニーランドへ行こう」「渋谷に行こう」と誘ってくれることもあったが、「人が多いの嫌い」「寒いの苦手」「暑いし焼けるのは嫌」と興味がないふりをし、何かと理由をつけて誘いを断っていた。

原宿への憧れはずっと抱いていた。当時読んでいたファッション雑誌には、スクールバッグにつけるキーホルダーやかわいい雑貨の売っている店や、破格の洋服や、流行のスイーツ情報は乗っており、たった30㎞の距離の街も異国のように感じられた。

そこまで行きたいのであればお金を貯めていけばよかったのではないかと自分でも思うが、高校3年生になったころには周りの友人達は原宿には何度も行ったことがある子ばかりで、そこでも自身のプライドが邪魔をし、「原宿行ったことがないんだよね。案内してよ。」の一言が言えなかったのである。さも行ったことのあるような振りをし、しかし実際に行くことになれば立ち振る舞いから行ったことがばれるのではないかと勝手に思い、誘われていても「原宿?人多いし苦手。」のスタンスを取っていたのだ。完全にタイミングを逃してしまっていた。

社会人になり、金銭的余裕も外出の自由を手に入れた25歳の夏に原宿に初めて足を踏み入れた。平日に行ったため、大混雑ではなかったが竹下通りには短いソックスを履いた綺麗に髪を巻いた少女たちが写真を撮ったり、光る容器に入ったタピオカを飲み、時折大声で笑ったりしながら楽しんでいた。

30℃越えの真夏の竹下通りを3往復程したが、感想としては「憧れていたけどこんなもんか。」と思った。パンケーキやフルーツののったかき氷、タピオカ等一通り代表的なものの食べ歩きもしてみたし、店にも入ってみたけれど大きな感動はなかった。当たり前だ。ここに来る以前に原宿以上の経験を済ませてしまっているし、それ以上に刺激的なことをしてしまっている。高校生と社会人、10代と20代では視点も楽しみも違うのだ。

当時、憧れていた原宿に仮に行けたとして、期待しているような大きな感動があったかは分からない。ただ、少なくとも今感じているような学生時代に原宿に行けなかったという劣等感はないはずである。原宿に行ったことがないと話をすると、「そんなこと気にする必要もないよ。」と笑われることもあるが、私にとっての原宿は特別な憧れのある場所だった。

社会人になり、原宿という地には足を運んでみたが、私はあの頃に憧れていた原宿に未だに行けていないし、今後も行けない。


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