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コラム「過去からの被害者、未来への加害者」

よくある飲み会の風景。40代男性、自分より年下の参加者になぜか男女の話を持ち掛ける。特に20代、30代女性にするのが好きだ。

なんでこんな会話しかしないんだろう?と思った時、20代での同期入社や職場での飲み会を思い出した。

「変わっていないだけだ。。」

場を盛り上げるのに「恋愛」や男女関係へのあこがれ、トキメキ、シガラミ、などの喜怒哀楽は世代を超えて共通していると思い込んでいるのかと思ったが、そうではないことに気が付いた。

若い頃から、そんな会話が一番盛り上がると思っているのだ。

今の40代は団塊ジュニア。親世代はモーレツに働き、それを子供には体験させまいと庇っていた。子供たちはテレビで育ち、学校での会話についていくため、同じような番組をみていた。

そんな子供たちが年頃になり、トレンディドラマにハマる。友人たちとの会話はテレビ「ドラマ」のストーリー。これが恋愛の手本になってしまった。

20代、30代の悩みは「恋愛」になり、友人との会話はその相談が主となる。親友と思う相手は「恋愛相談の相手」。親友をつくるとは悩みを相談するところから始まるようにも感じ、会って話すことと言えば「恋愛相談」。

しかもその悩みはトレンディドラマで植え付けられた理想との食い違いからくる不安だったりするから厄介だ。

セクハラおやじは上の世代だが、40代は恋愛至上主義で育った世代ではないか?その幻想が結婚しても続くから、不倫をする気がしてならない。

しかし、その弊害は今でも続いている。飲み会での20代の会話を聞くと、やはり男女の話ばかりをするのである。

最近、これが「お年頃だから」なのではなく、多くは時代のせいのような気がしてきた。ドラマ、アニメ、漫画・・・あらゆるところでヒトを惹きつけやすいコンテンツとして「恋愛」は描かれる。

ヒトがそれに惹きつけられるのは生物として当然なのだから、否定するものでもない。

ただ自分を振り返り、その影響を思うと悔いが大きい。最初は自分の非を責めていたが、何故そんな思考になっていたのかを考えると少女漫画やドラマの影響が大きいことが思い出され、だんだんと時代の被害者だったように感じてきた。

もし、自分が様々な世代の方と交流し関係性を持っていたら、どうなっただろう? 自分の価値観に疑問を持つ事が出来たのでは? そんな思いが起こり始めた。

30代後半から40代男性にヒアリングをした時、もう一つ感じたことがあった。それは「コミュニティに属したくない」層がいることである。

「地域通貨」で互助関係を構築する案のヒアリングで出た言葉。「せっかく面倒なコミュニティから逃れてきたのに、そんな面倒な関係はつくりたくない」。大企業で働く彼らはそう答えた。

地方から都市へ移住し、望んで分断を起こした世代。それが定年退職をし、個人になった時、関係性の築き方から分からなくなっているのではないだろうか。

未来への加害者になりたい、色んな年代をごちゃまぜにして価値観をグルグルさせてみたい・・・

自分が過去からの被害者だと意識したら、その想いがフツフツ煮えてきた。



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