最近わかった、自分の好きな人たちの憧れる部分について

わたしの憧れる人にはポジティブな人が多い。(一方でただうるさい人は苦手で距離を取りたくなるけど。。)
ポジティブな人は、もともとハイテンションやエネルギッシュな人が多いがそれが大きな理由ではないなと最近おもうようになった。ノー天気や考えてないわけでもない、むしろかなり深ーく思考している、と思う。思考を割く対象はたぶん、本質や芯、軸、方向性というところ。表面化・顕在化している事象ではないというところがポイント。だから慌てないしポジティブに捉えられるんだとおもう。無理してポジティブにしているわけでもなく。それは実は極めて冷静で合理的に見ている。ずっと遠く先を見据える鷹みたいなイメージね。
たとえば起きた事象が、部下のミスやイレギュラー、数字の悪化、遅刻とかだったとして
たぶん、事象の先や根っこまで見ていれば、事象を悲観しすぎたり責めたりする前に、意味や背景を考える。
イレギュラーという言葉には善の意味はイメージしづらいから、イレギュラーイコール悪になりがちだが本当は違うはずで。
イレギュラーになるものが通常でるはずだから、そのために基本的にレギュラーで進めるようにしようぜ、ということ。やむを得ず出たイレギュラーは完全なる悪じゃない。
数字の悪化も、短期的に且つ会社の数字を考えたら悪なんだが、現時点のその数字は本当に良くないことか?と考えたい。そのメンバーとそのクライアントの状況を、過程と目指す状態を考えたときに、今のそれ(数字の悪化)は悪なのか?
逆に、遅刻くらい気にしないでおおらかにいよう、ということでもないと思う。
遅刻自体に私もそんな気にしないけど、例えば普段しない人の遅刻は気になる。心や身体の状態がそうさせたのか、何かトラブルがあるのかなとか。遅刻という事象自体は軽くて小さなものと思われてしまうから、これも事象だけを見て判断しちゃいけないと思う。
いつも遅刻する人には、何の価値観や癖がそうさせているのか考えて指摘したいけど。

そうやって、私の憧れる好きな人たちは、本質を見るがゆえのポジティブさを持つ人たち。
私もこうなりたいな。
目の前に起きた事象に感情的に反応したり判断するんじゃなくて、言葉通りに捉えるんじゃなくて、
今この場合におけるその事象の意味を、自分で捉えたい。

ふぅー。またもや長文になった。でも書くとすっきりするなぁ。