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「断られてから始まる」という言葉は根性論じゃないと気づいた話

世の中にある職種でいうと、私は営業職の仕事をしている。週次や日次で売上目標があるわけではないので「売らなきゃ」「売っている」という認識はほとんどないわけだけど笑。

入社したての頃や最近も、「相手に断られてからからがスタートだよ」と言われたり耳にすることがたまにあって。

社会人なりたてのときに聞いたこの言葉は、私には「なんて体育系な会社なんだ。断られても何度もぶつかっていけ、理由を聞きながら断られる理由をつぶしていけ、諦めるな、という意味だよね」と理解して、心底ニガテに感じた。こういうスタンスでいないといけないのなら私には営業というしごとは本当に無理だとおもった。

そして、初めて聞いたときから5年たって私ももう社会人6年目になった。

最近、この「断られてからが始まり」という言葉を若手の人が言っているのを聞いてふとまたこの言葉を考えてみようとした。ちょっと苦い味を想像しながら。

そうしたら、私の中で意味が全く変わっていた。今なら本当にこの言葉はそうだと思える。

自分が何かを提案する。断られる。「そうですか」と引き下がる。「(断る理由は)なんでですか」と尋ねる。理由は相手が教えてくれるときもあれば教えてくれないときもある。「予算がない」とか「他の企画をやることにした」などはよくある。

ここまでは同じ。

5年前の私と今の私の捉えかたの違いによって、このあとの行動に違いがでてくるようにおもう。

今の私は断られても自分が納得しない限り「そうですか、わかりました」と引き下がらない。

それは根性論や私がたくましくなった、というわけではないとおもう。

目的に対して私は提案をしてるつもりで。だから私の提案よりも目的にかなっていてすぐれたものであれば、引き下がる。「いいですねそれは!」と言う。

でも目的にかなっていないものをやろうとしている場合、私はわりと本気にちょっと待ったをかける。自分の企画30万を通すことが私の目的じゃない、相手の目的を自分も考えているつもりだからだとおもう。

相手がやろうとしていることや予算を割くことを決めることに、一緒に考えてきた私にだって責任があると思ったりする。

そういうことに気づいてから私は、自分がすぐに引き下がる場合は、自分が相手の目的を本当に考えた一直線な提案をしていない場合だなとハッとさせられる。売ることを目的としているとき引け目が出てくるんだと思う。そして営業は引き下がるんだとおもう。「高いものを買ってもらい申し訳ないです」とか。「買ってくれたらありがたいです」とか。

相手とかなえたい目的に対する提案をしているならば、相手に断られても終わらない。目的に向けてまた始めるんだとおもう。