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「 Second 」

「 二代目 」をテーマに

社会問題の宝庫である川田を例にまた考察していこうと思う。



何にでも二代目がある(いる)

サラリーマン二代目
自営業二代目
公務員二代目
先生二代目
細分化するときりがない。

感覚的には親族経営という所だろう。
誰だって自分の血族に楽をさせたいものだ。
信頼のおける人物に継がせたいものだ。

これは社会環境が多少なりとも、安定した場所に起こる課題だ。
生命の危機がない為に、繋げることができるのだから。

この課題の「根」は何かというと、一代目の過保護な(?)、

「未熟者が自分で考えるな、とりあえず俺の言うとおりにしろ、間違いないから」


実際にこんな口調で受け継がせているわけではないが、
直訳するとだいたいこうなる。

一代目は必死にやりくりし、命を削るように「流れ」を作った。
この「流れ」をとにかく止めないでほしいという願いだ。
(これは最初は大儀があったかもしれないが歳をとるとだいたい個人的な感情が優先される性質がある、見ての通り)
誰だって人生をかけて積み上げたものを台無しにしたくない。
できれば自分が去ったあとも繋いで、次の世代が更に良く
発展させていってほしい。そうやって人類は発展している。
その方向性は間違ってはいないだろう。

「流れ」は一度出来上がると強い。
良いことも悪いことも、大きな力を持って大胆に行える。
バラバラでは大変なことになる。
(逆から見ればバラバラだから、こんなことをするんやけどね)
肯定意見はこんなところだろうか、



それがなぜ、「問題、課題」として今上がってきているかというと、

「流れ」だけに重きを置いたからだ。
(発展は必ずと言っていいほど同時に問題を抱えている)

前話のようになるが、「方向性」を無視してしまった。

川が流れ続ければいいかというとそうではない。
右に行ったり左に行ったりされたら、地形が変わる、
そこに住む生き物が迷惑する。(ほんとに)

川にはの通るべき道というものがある。
でないと行き着く先圃かもしれないし、
腐った沼地かもしれない。
そこに大海はないかもしれない。

またまた皆の大嫌いな精神論だが、
その道を見極めるには「哲学や思想の伝授」が不可欠なのだ。
そこを怠った、というよりも、伝授の方法がわからなかったのかもしれない。現実的な経営ノウハウなど「食うために生き残る術」に重きをおいた。
それはそうだ、川自体消えてしまえば、元も子もない。
そもそもまだそういう段階なのかもしれない。




が、そんな悠長な事を言っていては
私にとって非常に迷惑な輩が消えないので(川田とか)まだ一代目が生きているうちにありふれた内容で(情報化社会のせいとかにして)解決策をダメもとで提示したい。(もう手遅れだろうけど)


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昨今、情報化社会になり様々な知識が「安易に」手に入るようになった。
私自身もそれにはとても助かった。可能性が広がった。今こうやって君たちに文句を言えるのもその賜物である(情報化社会にならなければ君たちみたいな蚊に会わずにも済んだんやけどね)

「安易さ」というものは「すぐに知り、使用できるようになる」
一方で、「自分で方向性を決める手段」となると役に立たない。
なぜか?立ち止まって自分の頭で考えていないからだ。

安易さの先に自身が本当に納得のいく選択など無い。
得た知識の確認さえしない。
既に終わっていると思われていることの応用と転用ばかり。

「もうわかっていることに時間を使うのは無駄だろう?」

長生きするつもり満々の癖に妙に時間をケチる意味不明な考え
充満している。(スピード重視といいたいのだろうけどね)

(選択肢が増えれば比較検討し、いいものが選べるではないかって?
選ぶものを選ぶってことよ、その素材の大きさで話は全く変わる)

とにかく体も頭も楽をしようとするのだ指指系二代目は。
せめて少しでも体験として学習してくれていれば
今のような失敗もしなかっただろうに。


多様性社会といわれるように、様々な情報が可能性を広げた。
素晴らしい。

一代目が見た川の道筋は、5本だったところが、
二代目が見た川の道筋は、10本になってしまった。
(もしくは見えなくなって2本)

二代目は考える。
最適且つ最良の道はどれか??

一代目はいったいどうやってその選択をし成功(こいつの言葉なら生き延び称賛をあびる事)ができたんだろう??
(まあいろんな一代目からはそれしか選べなかったんだよ、とかよく聞くけどね)

ここに非常に大きな問題がある。


「選択肢がいいからそうなったのではない」


ということ。

そう、したのだ。いい川の流れにしたのだ、開拓したのだ、
フロンティア~なのだ。

「安易さ」が当然になった今、
「選べば(ある程度)結果がついてくる」と、
(ボタン押せばいいからね、今は何でも)

頭の中まで安易になってしまった。



昨今の自己啓発本にはこう書かれている。

「決断力が大切だ」(決断と方向を同じに例えているんやろけど、
自分の頭で考えない川田のような人間は、
言葉そのまま、
「そうか、選べばいいのか!」と受け取る

決めることなど子供でもできる。ソーダアイスかチョコレートアイスかくらい誰でも選べる。そのアイスを一か月後に本来のアイスの2倍以上美味しく食べる方法は子供にはすぐにはわからない、できない。

そう!だから過去のデータを基にした可能性の模索と
応用、そして逆算が大切なのだ!・・・・となるのだろう。
そのへんが川田の限界だ。
(本質はその先にあるのだが、また後日)

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で話は戻るが

「哲学、思想」というのは、
この情報化社会のくだりで言うと、
選択肢が大量にあり、どれも満足、あとは選ぶだけの迷った状態の時に、

「人間が方向性を最終的に決める判断基準」なのである。
(例えばね、)

目の前にある課題の事までは何が出てくるかわからない。
だが判断基準は伝えられる。
誰かが明確に示すことができればだが。
(これは言語化が非常に難しい、)
(ここを簡単にわかりやすくする為に数字などに置き換えてしまったのは
重大なミスだと私は思う)



川田の例では一見すると、
社会問題(繋がり、依存が強すぎる)
とは真逆の(繋がりが弱い)
という内容だが、
深堀すると、本質は同じところにある。


「 自己判断 」



これが、若い頃に無いのだ。
しなくていい、と「暗に」言われて育ったのだ。
(例えば、君は責任を取らなくていいから好きにしろ、
というのはこういう風にも受け取れる)


いくら同じ環境にいても、似た環境で育っても、
持って生まれた個人の性質というものは変えられない。
肉食動物が草食動物になることはない。
おのずと一代目と二代目の「判断」は変わる。

・・・どうすればよかったのかわかるまで自分で考えてくれ。

(摩擦を恐れたまま40半ばになってしまい
結局老いてきて理性が感情を抑えられず、
権力を私物化し暴走させた、川田・・・)

(いやいや自己判断してるわ!といいたいんやろうけど、
アイスを選ぶのとは違う話なので、君しれっと誘導されたりしてるので)


「哲学、思想」などというと「またかよ」という輩がいそうなので

「動機」という言葉に置き換えて、(動機は方向性を決めるやろ?)

内容がどこに向かっているのかわからなくなった
オーディエンスもいるだろうが、これはもちろんデザインに繋がる。
※私は一貫してデザインの話しかしていません。

また川田を例に展開し、
問題を発掘し解決策までいこう。。

彼の全ての「動機」はどこにあるのか・・・・

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