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「ことばのないせかい」

「癌」


今現在どんな最新医療が進んでいるのかは知らないが、
基本的には「排除」か「撲滅」のどちらかだろう。
他の組織や機能に被害が及ばないようにする為だ。
「延命措置」というものにも種類があるがそこは割愛する。

よくこれは実際の人間の組織にも当てはめられる。
組織全体を「一つの人間の体」と仮定し、処置が行われる。

まあわかる、

組織といっても背景は「経済」に基準がある。
基本的に今現在、人の作る組織というものは
「各々が定めた利潤(価値観を満たすもの)」を求めるためにある。
のらりくらり「癌」を他に活かす方法を考えていたら
追い越される。そもそも面倒くさい。
手っ取り早いほうがいい。時間は有限なのだ。
(※正義をうたうところでさえ現在そうなのだから)

さらに進めると「経済」の先には「権力」がある。
そういうふうに今の社会は出来ている。

(まあいい)

人は理解できない事に対してよく「仮定」というものを用いる。
「方便」とも言う。
(例:根が腐っているものはどうしようもない
これは「植物」だ。「人ではない。」

組織の話に戻る。
人の集まりを「一人の人間、生命のように見る?」

無理がないか?



「方便」というものは非常に強い説得力を伴う。
「理解はできないがなんとなく知っている事」だからだ。
それと重ねさせると、そもそも「納得」ではなく「理解できた」
という気持ち良さがあるのだ。学校の「解けない問題が解けた」時と同じだ。すると「そのまま進めてもいいかな、」という軽い気持ちになる。

まあ気の持ちようでモチベーションは上がるので、全てが悪いわけではない。医者がイチイチ、小さいことを気にしていたら手術などできない。

そう、これは「その行為をする側の人間が自身も含め扱いやすい考え方」なのだ。組織は人ではないが、事に当たるのは「結局一人の人間」なのだ。

(※正義をうたうところでさえ現在そうなのだから)


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書籍化されたものや権威化されたものは悉く
「その行為をする側の人間が自身も含め扱いやすい考え方」

であることが多い。

なので他の考え方が正しい、効果的、魅力的、未来性があるなどと
いう判断を下すほどの資料も実際はまだない。
碩学と著名人が70年足らずの人生経験で決めているに過ぎない。

では「その行為を受ける側の人間の考え方」はどこにあるのか?
そもそも弱者は馬鹿にされる、サンドバックシステム(勉強してください)は昔からある。弱者の声は届かない、というより、そこに至らないようにしてあった。弱者というポジションを選んだあなたが悪いのだ、とでも言うように。

(※正義をうたうところでさえ偉い奴(偉そうな奴)が結局は決める、アンケートなど建前だ。ここでいう所の、医者(経験も知識も実績も豊富な者)の資格などないような、注射ももったことのないような、浅い奴が平気で方便をたれ、決断を下し、どや顔をする。)

(自分の思い通りに人が動くようになると皆傲慢になるよね 笑)



(まあ理想的な奴そうそういない。それが現実。)

だからといって、
経済ベースの考え方になってしまった川田、
マインドコントロール重視の川田達よ、




「説得」(いろいろ含む)する事から逃げる必要まであったのか?


「説得できるかできないか試すことくらいできるだろう?」

(遠回りして逆に損してない?笑)
(そっちのほうが経済的にもよくない?カクシゴト?笑)


「言葉を話せない人間はそこにはいないだろう?」


(もしかしていた?笑 赤ちゃんいた?笑)

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また話は変わるが、腫瘍を何度も何度も調べたら実はそれが良いものだったなどよくあることだ。解明されていないものの方が圧倒的に多い。

君たちは学者や識学のフリをして、
実は途中で学問を放棄しているのだ。
(教科書たくさん読んだのにね)

曖昧な自分の感覚と思い込み

「ちっぽけな自分の学んだ知識とほんの少しの経験だけ!」
「ちっぽけな自分の学んだ知識とほんの少しの経験だけ!」
「ちっぽけな自分の学んだ知識とほんの少しの経験だけ!」

で結局最後は決めているのだ。(川田のように)

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で、結局この考え方(経済組織論)は「権力」に至る。
そこに溺れると暴力を正当化しだす。
「しかたがない」「ほかの組織、人を守るためには」
という大義名分を盾にして、
結局は手っ取り早く、自分が楽な方法を無意識に選んでいる。
君たちは怠慢なのだ。(川田のように)

こちらのほうがよっぽど「癌に侵された姿」だ。


癌は「楽な方、簡単な方、」を選ぶ


(※正義をうたうところでさえ現在そうなのだ。真実を隠す姿がそれを物語っている。)



年寄りが選ぶような楽な選択肢を若い時にしてしまっては、
たいしたことがないのは当然だ。原因もわからず、

「失敗する。」


そう、「川田」のように。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

言語(げんご)は、狭義には「声による記号の体系」をいう[1]。
広辞苑や大辞泉には次のように解説されている[2]。
人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志等々を伝達するために用いる記号体系[2]。およびそれを用いる行為(広辞苑[2])。音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現したり伝達する、あるいは他者のそれを受け入れ、理解するための約束規則。および、そうした記号の体系(大辞泉[3])。
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まあ支離滅裂化寸前の余興の話はここまでとして、

今回は「ことばの使用と利用」
この一見完成されているように思われる分野を

一見関係なさそうな場所から突っつく

事で多角的視点から未来への原石を発見したい。
活字文化はまだまだ続くだろう。
そこから新しいデザインも見えるかもしれない。


ここ最近、新しい言葉の質が過去と比べ悉く低下している、
新しい意味の言葉をあんなにも生み出した先人の想像力には
感嘆する。言葉とは何か?・・・・・

たぶん医療機器//


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