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「 小さな鳥の歌 」



「ホーーーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ・・・」

とても美しい、透き通る声で歌う鶯がいた。
かと思えば、あどけなく、リズムも悪く、

「子供だろうか?」

という声で歌う(?)鶯がいた。

鶯は近くに手本となる鶯がいるほど、
いい歌をうたうと聞いたことがあるが、
後者にはいなかったのだろうか?、
だが必死に歌う声に悪い気はしない。
また聞いてみたいと思ったのは、
どちらもである。



さて、デザイン?アート?の話であるが、
この私たち人間が「美しい」と感じた鶯の歌が、
{鶯たちにとっても美しいのだろうか?}
ということである。

もし仮に、「そうだとしたら、」

そこには自然界の生物全般に通ずる普遍的な「美しさ」が
あるのだろうか・・・?などと到底長くとも百年そこらの人間の
寿命では、意思を繋ぎ解明できたとしても、決して鶯ではない私たちに
「理解はできない」ことに、dilemmaを感じながら、思いを馳せてみたりした。

こんな事をつまみに飲む茶はうまい。
「美味しさ(おいしさ)」という言葉に、「美しい」という字を入れた先人は、「うまいこというなあ、」と思う。


鶯としては、
勝手に私が感じ、勝手に私が思ったことに、感謝されても困る、

「おまえなど知らん、」

と鼻で笑って飛んでいきそうだが、

とりあえず、

「 ありがとう 」

といつか伝えられたらと思う。


うぐいすのなくころに


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