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「 星の色 」

恵まれた国、貧困の国、美しい国、汚い国、戦争の国、平和な国、いろいろある。

日本に生まれる確率はどのくらいだろう?その中で今いる自分の環境になる確率はどのくらいだろう?おそらく日本は恵まれている。ただ精神的には恵まれていないのかもしれない。実際のところは世界中歩いて世界中の人と話したわけではないのでわからない。本当のところはおそらく誰もわからない。まあそれでも恵まれた部分が多いという感覚の人が多いだろう。特に四季が美しい。人の心は荒んでいても。そんな中で、わずかしかない確率の中からこの土地に住み、更にその中から奇跡的に出会った誰かを、見下したり利用しようとするのは、どうだろうか。上を見るとか、下を見るとか、そういう感覚ではなく、全体を見れば、逆に謙虚にならないだろうか。よくわからないSNSができる時間があることに、自分は恵まれてると思わないだろうか。こんな当たり前のことを忘れて、飯が美味しく食べれるわけないよなあ、気づきも減るよなあ、傲慢と言われても仕方ないよなあ、と私は感じる。

とはいっても、人の認識している人間関係はせいぜい100人くらいで回ってるので、そうもいかないのが現実ではあるのだけれど。その中で必死に保つのもわかるけど。好き嫌いもあるけど。自分の価値観ではなく、

「自分の世界観が、どういう場所に、今、置かれているのか」

見つめなおすのも、せっかくなので今どうだろうか。少しは言葉も見え方も変わるかもしれない。これは、当たり前のこと。ただこれを忘れてしまうのも、当たり前のこと。さて、あなたは、どうだろう?

話はずれるが、

以前、先天性の障害のある方と後天性の障害がある方の言葉を比べたことがある。例えば、同じ片腕だとして、先天性の方は、「片腕でもオニギリを作れるようになることに喜びを」感じ、後天性の方は、「もう片腕でしかオニギリができなくなったことを悔やんで」いた。その時期もあるだろうが、見ている方向の違いだろうか?皆がそうではないが。表にでてくるのは乗り越えた方の美談だ。乗り越えられない人もいる。それぞれに受け止め方がある。

最初からあるのか、ないのか、だけでこうも考え方、感じ方が違うものなのかと、驚いた。


「何がしたい?」と聞けるのは「選択肢があるから」
最初から選択肢もない人が、日本にも多い。選べることは贅沢なのだ。
これを知らない人が意外と多い気がする。というより、価値観が違いすぎるのだろう、その両者が揃いそれをわざわざ言葉にしている場面に出くわした記憶があまりない。


世界の貧しさを知っているグローバルな人間が、恵まれた日本にいるくせにと、一概に人を見下すケースに出会うことがある。それは世界観が広いとは言えないのではないだろうか・・・?
目の前の人間を、その瞳に映る人間を、数字でしかカウントできない世界観は、世界中を旅したとしても、貧しいとしか、いいようがない。


で、本日は「見え方」まずは・・・

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明け方の空、昼間の晴天時の空、曇りの空、英語で「vanilla sky」 (バニラ・スカイ)と呼ばれる状態の空、夕焼け空、星空、天の川が見える夜空
、高高度を飛ぶ飛行機から見た空。地上から見る通常の空とは色が異なっている。

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